6匹目  森を愉しむ


5月から6月はバルセロナが最も美しい季節です。家の前のポプラ並木も瑞々しい若葉が、爽やかな風に揺れて涼しい木陰を作るようになりました。エキスポジション用に走る練習をしておく様にと言われた私は、散歩の帰りにパセオ・ガウディで走る練習を始めました。ですがすっかり新しいお遊びと勘違いしたベルは、私が走ると紐を咥えて引っ張りっこしようと嬉しそうにピョンピョン跳んで、まるでお話になりません。おまけに跳びついてじゃれるし、こんなのでいいのかしら? いい訳ありませんけど、「ド」が千回くらい付きそうな「素人」の悲しさ、途方に暮れるしかないのでした。口を触らせようとしても、そう。よくもまぁこんなに首が回るものだと感心するくらい、クルクルクネクネ首を回して、挙句に人の手も顔も舐めまくってご機嫌です。

max.jpg「出来るだけ口に触って慣れさせる様に」と、私は家族全員に協力体制を敷いたのですが
「僕はベルが勝たなくっても構わないよ、大好きだもん」
「可愛いペットでいいんじゃないの」と、何をしても可愛く見える仕草に、二人の反応は捗々しくありません。
「それはそうだけど」と、せっかくのベジェスの信頼を裏切るのも申し訳ないし、こんなに綺麗なんだから出しても見たいし、と私はヤキモキ。でもさすがに、ビセンスの散歩を垣間見て以来、もっと運動量が必要だと言うのは、全員一致の認識となりました。そして、この頃になるとベルの脚力も随分と伸び、遠出ができるようになってきました。夕方の散歩はフウが、朝は私か夫が連れ出す事に。幸い二人とも自由業、私の仕事の不規則さを夫がカバーするという形で、ベルの散歩をする事にしたのですが、いつの間にか二人ともこの森への散歩にすっかりハマッテしまいました。もともと遠足好き、山歩きが大好きだった私たち、歩くという行為が身体を目覚めさせ、そして内省の時を与えてくれる事に強く惹かれたのでした。おりしも森は新緑の候、一面緑の麦畑が私たちを内なる旅へと向かわせてくれる、よい道連れとなりました。

 むろん森のお友達も出来ました。こちらは広場とはまた違った、いわゆる散歩友達。中でも不思議な登場の仕方だったのが「マックス」。ある日、カン・ネグラの麦畑脇をのんびり歩いていると、いきなり黒いラブラドールがベルのお尻に顔を寄せてクンクンするではありません。迂闊な事にベルも私も、いきなりお尻にクンされるまでこの黒ラブが何処から現れたのか、全く気が付きませんでした。それこそ「アン?」と、思った時にはそこに黒くてデカイ頭があったのです。ベルはいきなりの事に「きゃいん」と、実に女の子らしく一声。それからお互い匂いを嗅ぎあっていたかと思ったら、いきなり二人は麦畑の中を駆け出しました。この狂騒、5分程も続いたでしょうか。何処かで「マァーックス! マーックス!」と呼ぶ声がのどかに聞こえてきます。してみるとこの黒ラブ「マックス君」。ご主人の目を掠めてちょいとひと遊び、浮気心に身を任せたって訳でしょうか。不意にピタッと止まったかと思うと、来た時と同じくいきなり何処方となく去っていきました。あっけにとられた様に呆然と後ろ姿を見送るベルと私。一体、何だったの? これが我が家族の中で「いきなりマックス」「マックス登場!」と呼び習わされる事になる、彼との初めての出会いでした。この後も彼は結構、その「いきなり君振り」を発揮して楽しませてくれる(夫はとてつもなく苦しめられるハメにも)のでした。

 そして毎日の様に会う犬友、ハスキーの「ゴルフォ」がいます。ゴルフォは大体私たちと同じ時間帯にマリベルに連れ出してもらうのですが、彼女は私たちとは逆回りしているので、カン・ネグラの森の何処かで交差するのです。時にはこれから出かけるという森の入り口で出会って、「じゃぁ、一緒に行こっか」と、おしゃべりしながら回る事もあります。大学を卒業しても直ぐには就職が出来ないスペイン、長いと二年ばかりも仕事待ちになるそうですが、マリベルもそんな立場だったらしく大学院で何かの単独コースを取りながら仕事を探している様で、朝の散歩は彼女が受け持ち、午後の散歩は同じく学生の弟が受け持っていて、夜は犬友広場で会う事もあります。森の中ではいつもゴルフォが私たちを嗅ぎ別けて、マリベルに先駆けて挨拶に駆け寄ってくれます。4歳だというゴルフォ、ベルは一緒に遊びたくてしきりに誘うのですが、ちょっと挨拶を交わした後はすっと離れて行く、なかなかにクールな奴なのです。私はこのふさふさっとした毛が好きで、「ゴルフォ~」といって首の処をモミモミすると、彼は「グルルゥ」と嬉しそうに唸るのです。初めてこれをやった時、夫はびっくりして腰が引けたと言ってましたが、マリベルも驚いたみたい。青い目が冷酷そうに見え口が耳まで裂けていそうなハスキーのイメージとは違って、ゴルフォは茶色の小さな目許がちょっと寂しげで、怖いとは感じません。でも、これは飼い主であるマリベルに対する信頼感があるからこそですが。
「あのね、それ、唸ってるけど、怒ってるんじゃないのよ」と、必死で言葉を添えるマリベル。
「うん。猫と一緒ね、大きな猫ちゃん」
「グルルルゥ~」

 こんなに慣れているゴルフォには、実は悲しい過去があったのです。もともとマリベルの弟の友人宅で飼われていた彼は、幼児期に殴る蹴るの虐待を受けて育ち、見かねた彼女の弟が引き取ったらしいのですが、人間への信頼が欠如していた為、懐かせるのは本当に大変だったと言います。
「ほら、ここに歯型が残ってるでしょ。噛まれたのよ、二度も。もう困ってね、本当に処分した方がいいんじゃないか、ってとこまで行ったんだけど。二度目に噛まれた時、我慢して話しかけてやったの。それからね、何だか大丈夫になってね。今じゃこの通り、大事な家族よ」と、歯形の付いた手の甲を見せてくれながら誇らしげなマリベル。道を渡る時も紐なしなのにぴったり寄り添って堂々としている彼に、そんな過去があったなんて信じられない思いがします。淡々と「ブエノ(まあね)」なんて軽く言うマリベルが素敵です。しきりと遊びたがるベルを尻目に、すいすいと先に行ってしまうゴルフォ。
「でもね、やっぱり小さい時に可愛がられてなかったせいかしらね、遊びたがらないのよね。最初から結構あんな感じでね、オジサン臭いのよね、なんか」と言う口調も何だか可愛らしげ。一度口の端に歯磨き粉と思しき白いものがくっ付いているのを見て以来、「ほら、ゴルフォの、あの歯磨き粉の彼女よ」なんて説明の仕方をくっ付けてしまう事、ちょっと反省。

turron.jpg ハスキーはこのゴルフォの他にもう一匹、白黒の「トゥロン」がいます。こちらは6歳、成熟したオジサンで両目の色が違います。この子供が広場のお友達「コナン」で、あちらはもう一回り大きい。親子が合うと張り合いが始まるとか。ハスキー二匹が唸りあっていたら、やっぱりちょっと怖いでしょうね。トゥロンの飼い主は50代後半のご夫婦で、奥さんはフランス人。こちらの暮らしが長いからスペイン語は達者なのですがフランス的に鼻音がかっていて、スフレみたいに軽い感じの話し方。
「ビキニで海岸に行ったラ、村中の人が見に来てネ」
「ビキニったって、昔のお臍まであるようなのだよ。今みたいなのとは訳が違うよ。それなのにいい歳したセニョールが自転車を駆って見に来るんだよ」と、フランコ時代に青春を送った彼らが、フランスの自由のエスプリでセンセーションを巻き起こしたエピソード。
「警官が駆けつけてきて服をキロって言うノヨ。だから直ぐに服を着て、彼が行ったラまた脱いでヤッタワ、当然ヨネ」
「何でも僕らの時代が初めてだったのさ」と、片やご夫はどっしり落ち着いた感じで、今までに二度も飛び降り自殺に遭遇した事がある、最後の瞬間に目と目が合ってしまった、なんて神霊魔術師みたいな経験の持ち主。どちらか片方だけで、と言う場合もあるのですが、のんびり夫婦でカン・ネグラの麦畑まで行って帰るのがお決りのコースの様です。ベルはこのご夫婦を見ると一目散に駆け寄ってご挨拶するので、すっかり気に入られて遠くに見かけても「ベル、ベル」と呼んでもらってご機嫌。大体においてベルは、犬より人間の方にしっかりご挨拶する事が多く、犬友を見つけるとまず飼い主に擦り寄って挨拶、頭を撫でてもらってご機嫌になる、と言うパターンが多いみたい。ですから大概飼い主からは評判が良く可愛がってもらえるのですが、中にはそうもいかない人もいます。

 白黒コッカーの「ルナ」は、ベルとほとんど同い年のメス。つまりは5ヶ月辺りの遊びたい盛り。森の入り口で会う事が多いのですが、ベルを見つけるとぐるぐる回って一緒に駈けっこ。こうなったら呼んだって直ぐには来ません。飼い主は苦虫を噛み潰したような、渋茶でうがいしてるようなオジサンで、こちらが「おはようございまーす」と挨拶しても、何が面白くないのか口の中でもぐもぐ言うばかり。どちらかと言うとベルよりも激しく聞き分けがないルナに業を煮やしては怒鳴り散らしています。
 ある日、いつもの様に散々じゃれあってから、右に別れて行くベルの後を追いかけて戻って来ないルナに、怒鳴り散らしても埒が開かないと踏んだのか、
「どうしてあんたの犬を捉まえないんだ。早く捉まえろ!」と、夫にベルを捉まえる様に催促したのです。無愛想なオジサンをもともと敬遠気味だった夫、びっくりして立ち止りルナをひっ捕まえようと走ってきたおじさんに思わず、
「まず、自分の犬を躾る方が先なんじゃないの?」と言ったとか。それから双方雰囲気は険悪になり、見かけても出来るだけ遊ばさせない様にパスする事にして今に至っていますが、ルナ自身はいかなる具合なのか、恐らくは軍隊教育的躾をされたものらしく、もう余り飼い主からは離れなくなり、ベルも興味を失ったのか今では軽い挨拶程度のお友達。

dursa.jpg黒ラブ「マックス」にすっかり驚かされた私達ですが、白ラブのお友達もいます。こちらはメスの「ドォルサ」、スィートちゃんという名前ですが、その名の通りもう3歳を過ぎているのに大変な甘えん坊。直ぐに前から後ろから飼い主にピョンと跳びついて自分の存在をアピールするのです。
「ドォルサ! 止めてったら、もう! お陰で毎日洗濯しなくちゃならないのよ」と、陽気そうな大きな瞳がくるくる回って元気溌剌な早口お喋り夫人が、口をパクパクさせて言います。ベルも真似てドォルサ夫人にピョン。すかさずドォルサも私にピョン。焼餅焼きの二人はお互いの主人を相手から守りたいのと、挨拶したいのとでウロウロしています。犬の散歩には綺麗な格好なんてとんでもない、親愛の情を示して跳びついてくるし、そんなのをいちいち咎めていたら犬友の輪なんか広がりません。
「今でこそねラブラドールは流行でたくさん見かけるけどね、私達がこの子をペット・ショップで見かけた時はそりゃぁまだ珍しくて、雪の様に白くて可愛くて、もう一目見て気に入っちゃったのよ。みんなが触りたがって大変だったのよ。そうよ、ホントに今はたくさん見かけるけどねぇ。一度子供を産ませようと思ってマックスと掛け合わせたんだけど、知ってる、マックス? そうよあの黒ラブよ、うまくいかなくてねぇ。別なお友達のところとはうまくいったのに。でも、ほら、良く考えてみると、仔犬は可愛いけどその後の仕事が大変じゃないの。小さいのがうちゃうちゃいて御覧なさい、まぁ、一匹でも大変なのに。そりゃぁ可愛いでしょうけどね、でもねぇ」と、ドォルサ夫人の口はビセンス並に早口で一度足を止めたらなかなか動き出しません。とにかく元気で明るい女性。

 それからベルよりチョットだけ年上の「トゥラ」。シェパード系の雑種で、青と薄茶の色違いの目をしています。ベルがまだ小さくて他の犬に会う毎に抱っこされていた頃を知っている飼い主のジョアンは、看護士さん。彼は実によくトゥラの面倒を見ていて、躾が行き届いていて、呼んでも来ないベルに困り果てたフウが追いかけ回すのを見て、
「追いかけちゃダメだよ、自分が逃げると犬が追いかけてくるよ」と指導してくれたお兄さんです。彼とゴルフォのマリベルの弟は友人同士で、よく一緒に森を走っているのにも出会います。

 そして肝心のマックスですが、毎朝カン・ボレール迄の道を早足で歩くマックス夫人は、いつもサングラスを掛けていて、通りでばったりサングラス無しの姿に会うと一瞬誰だっけ、なんて考えてしまいます。彼女はジロナ県出身で今もそちらに別荘があるので週末はそちらに行っています。ジロナに暮らしていた頃に某日本企業の赴任家族の奥さんと親しくなったとかで、結構日本の事にも興味があるようで、
「その友達はね、子供を連れて日本に帰ったのよ。教育は日本で受けさせたいからって。ご主人だけ置いてったのよ」
「あぁ。多いのよ、そういうの。最近は逆に赴任が終わって、ご主人だけが帰ったりとかね。帰国子女枠って言うのがあって、それを利用する為に子供とお母さんだけ残ったりするのよ」
「キコクシジョワク?」
「そう。日本は夫と妻より、母と子供の結び付きが重要視されるのよ」
「ふ~ん?」、なんて事を時々立ち止まって話したり。その間ベルはマックスと遊びたくて仕方がないので、お尻を空に向け地面をパンパンと前足で叩いて盛んにお誘いするのですが、精悍なマックスは「な~んだ、まだガキンチョかい」という態で、一向に興味はなさそう。それにしてもマックスの頭、でかい。
 こんなところが森でのよく会うお友達でしょうか。時間が微妙にずれたり、それぞれのコースがあったりで毎日会える訳ではありませんが、お天気が余程荒れていない限りは、週末以外はみんな大体同じ時間帯に森に出ている子達です。

maunten.jpg犬たちの他にも森で会う人たちはいます。それはトレッキングの人たちとマウンテンバイクの人たちです。周辺に乗馬クラブが三つ程あって、自分の馬を預けて置ける仕組みらしく、平日はさほどでもないのですが週末にはたくさんの馬が森を闊歩しています。近年このサン・クガットの村は大発展を遂げ、田園都市の趣が好まれて高級住宅地として有名になりました。古くから住んでいる人たちの中にはこの変貌を嘆く人が多いのですが(かく言う私達も)、バルセロナでは高級住宅地の代名詞のひとつにもなってしまいました。人間ちょっとお金持ちになると、まず家、車、それから趣味に走るものらしく、乗馬と言うのはどうも貴族的な雰囲気で人気があるようです。うまく乗りこなせもしない様な人が上から下までぴかぴかの乗馬服を誂え、本来なら黒の乗馬ブーツをはくところを、格好がいいからと思ってなのか障害競技用の茶と黒のコンビブーツを履いていたりと、まぁ馬に載るのが趣味なのか乗ってる姿を見せびらかすのが趣味なのか分らない人もたくさん出没するようになりましたが、森の中で平日に会う人は本当に馬好きの人が多いらしく、黙々と静かにだく足で走らせています。

 初めて馬に遭遇した時、私達はゴッスの事がまず頭を横切りました。ゴッスは以前にも書きましたが私達の階下に住んでいるバルビア家のピレネー牧羊犬です。「ゴッス・アトゥーラ」と言うスペイン・カタルーニャ独自の種ですが、これがバルセロナ・オリンピックのシンボルマーク“コビー君”として使用された事で一躍有名になり、需要に基づいた急激な掛け合わせが行なわれた為、腰の付け根部分の骨が変形すると言う欠陥種が増えてしまいました。実はバルビア家のゴッスも後ろ足両方の骨が変形し、ひどい方の右足の付け根を手術したのです。それまでは人懐こくて他の犬にもいきなり吠え掛かったりする事のなかったゴッスですが、この手術後の未だ体力が回復しきっていない時期に、犬の攻撃を受け性格が変わってしまいました。直ぐ近くに同じゴッス・アトゥーラのオスとメスを飼っている家があるのですが、この二匹は家に少しばかりの庭がある為か、外へ連れて行ってもらう事が少なく常に欲求不満らしくて、犬だろうが人だろうが本当に“食って掛かる様に”吠えるので有名なのですが、この二匹が前を通りがかった術後間もないゴッスを、柵を乗り越えて襲ったのです。それ以来可哀想にゴッスはすっかり犬としての親愛の自信を無くし、見るもの聞くものが怖いらしく、特にこの回復期に自分の庭の側を通った自転車とスケートボード、インナースケートなどの音に異常に反応するようになってしまいました。実は私達がゴッスを森に連れていかなくなった理由もそこにありました。馬を見ても自転車を見ても、大変な剣幕で吠えるので、呼べばまだ来るからマシですが、繋いで押さえておくのが一苦労なのでした。そして、とうとう山の細道で出会ったマウンテンバイクの人に飛びかかるという事件があり、用心の為に夫が紐を短く持ち引き寄せていたお陰で噛み付く迄には至りませんでしたが、犬歯が太腿をかすり少し出血してしまいました。幸いその男性は「大丈夫だよ」と言ってくれましたが、それ以来私達は怖くてゴッスを連れて行くのは止めました。森を歩くのにずっと紐をつけていなければならないのでは、山歩きの楽しみは半減してしまいますし、何より自分のではない犬が他人を傷つけたらどれだけの責任を自分達が負えるのかを考えると、止めた方が無難と考えたのです。

 そんな事があって、ベルが馬に対してどう出るのか、これは今後の私達の散策に大きな影響を与えます。何時ものカン・ネグラの麦畑脇の雑木林の中から緑のトンネルを抜けて、不意に馬が姿を現しました。麦畑を走っていたベルは馬を見ると、足を止め暫らく不思議そうに見ていましたが…。恐れる事も吠える事も無く馬に近づいて行き、後ろ脚辺りをウロウロするではありませんか。蹴っ飛ばされでもしたらとハラハラする私達を尻目に、ベルは別段大して気にも止めず馬の後を少し跳ねながら追いかけて行き、大きすぎると思ったのか、はたまた相手に遊ぶ気が無いと見たのか、また畑の方へと戻ってきました。それ以降、馬を見ても自転車を見ても、ジョギングの人だろうが何だろうが、ベルはこれといった物怖じもせず吠えもせず何ら問題がない事が分り、私達は一安心。森での不安は解消され、楽しみが広がるばかりとなったのでした。

yayo.jpg後は、呼べば戻ってくる事を願うばかり? それが不安ではありますが、まぁ、歩ける様になったしこの素晴らしい季節を逃す手はありません、山へ行きましょう! という事で、お弁当を持ってサン・ジョレンスに出かける事に。難問は車です。カッファの所へ行って以来、遠出はしていません。この間ベジェスの所へ行った時は何とか大丈夫だったし。でも、山道だから…。この予感はまんまと的中し、おまけに久し振りだったせいで登山道への道を間違えた為、クネクネ道を更にグネグネと迂回する羽目になり、激しく嘔吐。可哀想に、これですっかり車嫌いが定着してしまいました。

サン・ジョレンスは王立サン・クガット修道院の奥の院に当たるとかで、岩肌の山頂に美しく修復されたロマネスクの礼拝堂があり、隣り合ってレストランがあります。かつてゴッスを何度か連れて来たこともあり、このレストランで食事をしたりもしました。素朴なカタラン料理の店ですが、窓際の席が取れるとそこからの展望は素晴らしく遥かに遠くサン・クガットまでもが見渡せます。ゴッスを連れてきた時は、店の前に繋いでおいて食事をし、犬を盗む人がいるなんて考えもしなかったのですが、ベジェスから絶対にそんな事はしないようにと言われもし、また心配しながら食べる気もしないので、今回はお弁当持参。山草が盛りでジオグラスの野生種の群れが濃いピンクの花を咲かせています。結構厳しいハイキングコースですが、ベルは嬉しくて飛び跳ねています。ふっくらした形のレキガンの岩肌で、先住民のイベロ人の遺跡などもあり、かつてこの辺りで以前夫がとても立派なセプ(ボルチーニ茸)をふたつも見つけ、狂喜乱舞した思い出があります。
「すごかったよね」
「うん、美味しかった」と、得意の茸スパゲッティへと変身させた夫は感慨深げ。年々見つけるのは難しくなっていますが、茸探しは楽しいし大好きです。今日は香草のタイムを摘んで帰ります。ローズマリーやタイムはサン・クガットにも沢山ありますが、タイムはこういう荒れた岩肌に低く根を張っている方が香りが高いのです。ちょっと触れただけでぷ~んと香りが立ちます。

山頂に着くとまずは木陰を探してお弁当。車酔いからも立ち直り、胃袋が空っぽになっているベルが涎をぽたぽた落として迫って来ます。本当はあまり食べさせてはいけないんだけど、可愛いからついつい。今日は何と柿の葉寿司だよ、ベル! 持参のワインで乾杯。お腹も一杯になったところでちょっと昼寝を楽しんでいると、きゃっ! ロバがいきなり近づいて来ました。車が登って来られない為、レストランの荷運びロバの様です。見ると子供のロバもいて、ベルは興味津々。鼻と鼻をくっ付けてご挨拶。さすがに遊びはしませんね。馬もいますが全然平気。よしよし、いい子ね。

ところが帰り道、山火事警戒のために双眼鏡で辺りを見ている山林パトロールのお兄さんに、可愛いねなんて頭を撫でてもらって有頂天になったベル、スタコラとその後を付いて行くではありませんか。呼べども呼べども戻ってきません。不安と怒りがない交ぜになったフウが必死で追いかけますが、耳栓でもしてるんじゃないかしら。最後はパトロールのお兄さんが立ち止って引き止めてくれて、何とかベルを捉まえましたが、これって最大の不安。はぁ~。やっぱりまだまだ森の散歩は気をつけていないと。もちろんベルの名前と電話番号を掘り込んだ金色ハート型の名札は首輪に付けていますが、やはりマイクロチップを入れた方が良さそうです。獣医のペパは6ヶ月検診の予防注射の時に、と言ってましたからもう少し先になりそうですが。

そう言えばサン・クガット市ではこのマイクロチップ義務化に伴って市での登録制度も導入し、市役所で書類を書き込むと登録番号の入った小さなプレートをくれます。広場の犬友に教わったのですが、もともとはその犬友がサン・クガット市の紋章付きのうんち袋入れを持っていたので、それについて訊ねたところ、犬の登録をすると無料でこのうんち袋と登録プレートをくれると聞き、なんて素敵な制度かしらんと、私は早速登録に行きました。必要なのは犬の保険証、つまり検疫注射記録のコピーだけでした。これは恐らく高級住宅地のイメージ作りの一環で、「犬の糞を拾いましょう」と言うキャンペーンと、そして「捨て犬防止」キャンペーンの為のものだと思われますが、住民の意識向上にはいい制度だと思います。うんち袋入れはペット・ショップや獣医の所でも売っていますが、まず最初に無料配布し、犬の数も把握しようという一石何鳥もの狙い。

burro.jpg北ヨーロッパと違ってフランスやスペインなどは犬の糞を片付けるという考え方は、まだまだ一般的ではなく、うっかり踏んづけてエライ目にあったなんて事、こちらの人なら一度や二度は絶対にある筈。フランスは犬の糞を片付けるのは役所の仕事、その為に税金を払っているんだから、なんて言う人も多いとか。スペインはそういう理屈をこねるのではなくて、単に公共意識が不足している場合が多い様で、ハイキングに行ってゴミを持ち帰るとか、街の中ですらゴミはゴミ箱へ、なんて日本人ならごくごく初歩的とも言うべき公共性、社会通念がまだ浸透していない気がします。家の中の事なら競い合う様に綺麗にし、それが主婦の自慢でもあるスペイン人、一歩外へ出たらまるきり違ってしまうのは悲しい事です。最も日本のマナーも山などでは年々ひどくなって来ている様ですが。

 ですから「うんちを片付けましょう」というキャンペーンは、その有効性が現れるには時間が掛るにしても、絶対に行うべきキャンペーンだと思うし、また夏のヴァカンスが近づくと増える捨て犬の問題も、こうした登録制度やマイクロチップなどで防止していくべきでしょう。血統書付きの犬に関しては耳の内側に「刺青」をする事があるようで、イギリスやフランスと言った北ヨーロッパでは結構浸透している様ですが、スペインではまだまだ。
 しかしせっかく貰ったこの市の登録番号、金具がチャッチかったのもあって三日目にして森の中で無くしてしまいました。きっと何処かに引っ掻けてぶっちぎってきたのね。で、仕方なくハート型の名札を誂えたのですが、これが首輪のリード間に当たってちゃりちゃりと微かな音を立て、思いがけずもベルがどの辺りにいるのかが判る様になりとても便利。まさかカウ・ベルを付ける訳にも行かないし、なんて冗談で言っていたのですが、これ、お勧めです。

 そしてその登録の際に「サン・クガット市ペット条例」のようなパンフも配布しています。ペットを飼う心構えがイラスト付きで書かれていて、これも獣医の所に山積みしてありますが、その内容はと言うと、

動物と人間の共存   権利と義務

  • 虐待、攻撃、あるいは精神的、肉体的苦痛を動物に与えた場合、告発される事があります。
  • これらの行為を見かけた場合は、市役所に告発するのを躊躇わないで下さい。
  • 公道では犬は規定の身元証明を付け、鎖か紐に繋がなくてはなりません。噛み付く危険のある犬は口輪をしなくてはいけません。
  • あなたの犬が危険を引き起こすと思わなくとも、犬の自由な往来は多くの人に不安を誘発するという事を考慮して下さい。
  • 犬が吠えて近所迷惑になるような事があってはなりません。特に夜間には。
  • 犬が吠えるという苦情がたくさん市役所に寄せられている事を考えてみましょう。あなたの犬の吠えるのを止めさせましょう。獣医に相談なさい。
  • 犬を捨てた場合、高額の罰金を伴う罰則があります。
  • 全ての犬はペットとして人間に選ばれたのであり、彼らの自然な寿命に従って人生を全うする権利を持っています。動物を捨てる事は残酷で不法な行為です。(動物の権利普遍的憲章第6条)
  • 最大限の努力をしても家で動物を飼えない場合、捨てないで下さい。里親を探す努力をしましょう。
  • 全ての権利と義務を承知している人物かどうか、また責任感のある人物かどうかを確認しましょう。里親が見つからない場合は、里親を探してくれる施設に連れて行きましょう。
  • 公道、あるいは人が通るいかなる道においても、犬の糞を放置する事は禁じられています。
  • 市役所では犬の糞を拾い易くする為のサービスを行っています。お問い合わせ下さい。
  • 動物の飼い主は彼らを良好な衛生状態に保つ義務があります。
  • 不当な条件で取り扱うと、動物自身にも有害であり、人にも迷惑をかけ不快にさせる可能性があります。獣医の定期検診を受ける事をお勧めします。
  • 犬の飼い主は彼らの人口調査、身元確認する義務を持ち、それらの犬の保険帳を持たなくてはなりません。
  • 市役所ではコンサルタントとインフォメーションを行っています。人口調査は無料だという事をお忘れなく。
  • 望まない妊娠の為には避妊手術は良い解決法です。
  • 近年、捨て犬が異常な数で繁殖している事を考慮し、捨て犬をしないようご協力下さい。
  • 家庭で動物を飼うという事は、家族全員が大変大きな責任を持つ事になります。権利と義務を負うのです。
  • 正確なインフォメーションとして:十分な注意が払われた犬の場合、寿命は15年以上に及ぶ事があるという事、そして捨てる事は出来ないという事を、よく考えて下さい。
  • これらの規律が守られない場合には:
  • 道で糞を拾わないと            :8,000~10,000ペセタ
  • 危険と思われる動物が口輪をしていない場合:10,000~15,000ペセタ 
  • 衛生的観点から、不適当な条件で扱われている場合:10,000~15,000ペセタ
  • 虐待、もしくは食事を与えない場合  :10,000~150,000ペセタ

 サン・クガット市のマークが入ったうんち袋が無料で配布されると聞きつける。→ 袋を貰いに市役所に行く。→まず検疫が済んでいるかの確認と、身元証明書を書かされる。→登録ナンバーのメダルとうんち袋入れ、そして教育パンフが渡される。というシステムなのですが、これで少しでも飼い手の意識が向上する事を期待しましょう。皆がみんな、幸せな第2の家庭が見つけられる訳ではないのですから。