5匹目  犬友広場は花盛り


  5月に入ると夏が直ぐそこに来ていることを感じます。バルセロナでは春から夏の移行がとても早く、初夏と呼べるのはほんの僅かな日にちです。陽射しが伸びていくに従って、ベルとの散歩は日増しに距離が伸び、野原の一本松まで行けるようになりました。この野原はかつて麦畑で、その奥にカン・ネグラ(黒の館)と呼ばれるこの辺り一帯を治めていたと思しきゴシック時代の領主館が聳えており、松森を背景に麦畑と領主館という、なかなかに雰囲気のある辺りでしたが、数年前に館を含む一帯の所有地が大手の不動産開発会社(バルサと言うバルセロナ名門サッカー・クラブのオーナー会社)に買い取られ、開発か自然保存かを巡って住民との対立があり、現時点では市が開発に歯止めをかけてはいますが、いつの間にかうやむやにしてしまうのがこの国の常套手段、油断は出来ません。かつては青々とした麦の穂が風にそよいでいたこの辺りも、もう手入れもされず雑草の生い茂るがまま。いつの間にか人が歩いて出来た道が徐々に踏み固められ広がり、または抜け道が作られと、私たちが小さかったフウとゴッスを連れて散歩に来た頃とは随分と様変わりしました。あの頃、フウはまだ8歳くらいでしたが、週末にはよく自転車でここまでゴッスを借りてやって来たもので、森の中にある乗馬クラブのバールで喉を潤すのがお決まりのコースでした。あのクラブの太鼓腹のおじさん、大の動物好きとかでサーカスで要らなくなった虎を引き取って飼っていた事もあるとか。乗馬クラブには狩猟犬が十数匹ほども大きな檻の中で飼われていて、ゴッスが近づくとうるさく吠えたてたものでした。最近とんとご無沙汰だけど、おじさん元気かな?

stinky.jpgさて、この広場には一本の松があり、これは笠松とも朝鮮五葉松とも言うらしいのですが、松の実を食べる種類のもっこりした木です。ここまでベルと歩いてくると、さすがに汗ばむ陽気になっていて一休みしたくなります。木陰で風に吹かれている間、ベルはあちこちに顔を突っ込んで探求心大盛なところを見せています。自分の犬と森へ来るのって、楽しい。広場でお友達たちと遊ぶのも楽しいけど、こうして森の中で一人の時間を持てるというのがとてもありがたいのでした。

この頃になると運動量が随分と増えてきて、朝のおしっこタイム15分(時には10分を切ることも)だけではとても足りませんから、フウは夕方の散歩を担当する事に切り替え、朝は私か夫がパセオ・ガウディの広場に連れて行く事にしました。フウを学校に送り出してから8時頃に広場に行くと、やがてお友達が来ます。毎日会うのはモンセのティナ(メス3歳、シェパードとの雑種)と、エバのルアー(6ヶ月、シェパードとの雑種)です。ティナは茶系で、ルアーはグレーと黒が混じっていて、ルナの方がよりシェパードに近い感じ。彼女たちはそれぞれ仕事前に散歩に連れ出すので、何時も大体決まった時間にやって来て引き上げて行くのですが、エバは小中学校で音楽の講師をしており、そんなに時間が詰まっている訳ではないので、割に気侭な感じです。モンセは税務署員、仕事は9時からの筈ですが、自宅が郵便局に近いので毎日郵便局で用事を済ませてから職場に行くという建前で、少し時間を遅らせてスペインらしいフレキシブルな出勤なのです。毎日のように顔を会わせるこの三人、いつの間にか犬友の輪が広がってきていました。ティナは既に大人なので支配権を主張してルアーやベルにうるさく吠えたてます。必ず広場に駈けあがってくる時も吠えながら。マンダドーナ(命令屋)です。それに引き換えルアーは気が弱くて大変な怖がり。すっかりティナに仕切られています。月齢が近いのでベルとは割に遊びますが、石を投げてもらって追いかけるという一人遊びの方が好きみたいで、あのハナ程ではありませんがシツコクせがみます。時々エバが参ったなぁ、とぼやいていますがお構いなし。彼女は新婚らしく出版社に勤務するご主人のパンタも時々顔を見せます。一緒に石を追いかけて行ったら困るな、と思ったのですが今まで一度もやった事がないからなのか、ベルはどうしてルアーが追いかけて行くのか訳が判らないといった感じで、小首を傾げて見ていたりして、幸いにもあまり関心がないみたい。歯が傷むから絶対に石を投げて遊ばせてはいけない、とベジェスに言明されているのです。
 ここで暫らくティラとルアーと遊んだ後、森に出かけて行くのですが、小さいくせに引っ張る力の強い事。早く森に行きたいのですね。初めて紐を外して遊ばせてやったのも森でした。街中ではまだ放せませんが森の中でなら平気ですし、引っ張られ放しと違って私も楽ちん。森に行くと緑に映える白の肢体の美しさに、毎日の事なのに惚れ惚れしてしまいます。

 夕方のフウの散歩もこの頃からは犬友広場で遊ばせる形に変わりました。この広場のお楽しみは、実は夕方にあったのです。7時半を回った辺りから、パセオ・ガウディを散歩する人たちが増え、だんだんと犬が集まり始めます。もう夏時間へと切り替わり午後の陽射しは日々長閑に明るくなって来ました。夕食時間の遅いスペインならではの、午後の散歩。仕事が終わり夕食までの、この初夏の宵を楽しむ人たちが日々増えてきました。スペインでは夕食時間がとても遅く、その中でも早いと言われるカタルーニャですら9時辺り。ただし夕食は軽めのもので済ませるのが本当で、あまり手は掛けないのです。日本式に夕食が一日のメインの我が家ではさすがに夕食を作る事を考えると、いくらスペイン時間とはいえそうそう遅くまで広場にはいられませんから、私達は8時過ぎには引き上げる様にしていましたが、モンセやエバを始め、色んな犬友がやって来ます。シェパードの混血はルナの他にも3匹、白のテリアが2匹、イギリスブルドッグのオスも2匹、ハスキーのオス3匹、精悍な感じの茶ポインターがオス2匹(見分けが付かない程にそっくりで、何故かドラックと言う同じ名前)、ゴールデンレトリバーがオスメス1匹ずつ、黒のベルギー牧羊犬のオス1匹、オスのビーグル1匹、そして500円玉禿げ(未だ消えない、心配です)のコッカースパニエルのハナと、ハナおばさんの息子夫婦のメス犬ラブラドール、6ヶ月のブバ。このブバが以後とんでもない敵対関係を生み出す事になる問題児になろうとは、この時点ではまだ判らない事でした。

コッカースパニエルとラブラドール、ゴールデンレトリバーは近年流行らしく、白黒のコッカーがあと2匹ばかりいますが、何時ものメンバーという感じではありません。時々顔を見せる犬はこの他にもたくさんいて、多い時は総勢20数匹、どういうキッカケからか一匹が走り出すとみんなが跡を追い始め、広場をぐるぐると20数匹が走り回る壮観なシーンが見られます。引っ張る犬はある程度決まっているようで、ベルも時にその役を果たしますが、凄いのはビーグル。あの小さな体の何処にと思うほどの素晴らしい瞬発力です。これだけの犬が走り回ると、みんな呆然とも陶然ともいった顔で、しばし見とれてしまいます。ドッドドッドと地響きがしそうな程に埃を舞い上げ走る犬たち、先頭集団の中には常にベルがいます。パセオ・ガウディを散歩中の人たちも思わず足を止め、歓声があがる事もしばしば。年齢も種もばらばらなオスメスが入り乱れて遊ぶのですから、時にはオス同士の牽制もあったり、メスのいがみ合いがあったりと、本当にその日の話題に事欠きません。そしてあのダル! ベジェスと見かけたダルもやはり広場に来ていたのです。

cinia.jpgそのダルを始めてみた時、随分小さいなぁと思いました。もう一匹夕方の広場に来るダルがいるという事は、モンセとエバから聞いていたので、いつか会えるだろうと楽しみにしていたのですが、連れてきているのは前に見かけたオジサンではなく若い男性でした。同じダル同士、自然と私たちは挨拶を交わし、この日以来ベルとクゥニー(美人のテニス選手から取った名前)は一番の遊び友達になりました。同じ4ヶ月同士とは思えないほど、クゥニーは小さく華奢です。後足がやや蟹股で、走る時後足が跳ね上がってウサギのように見えます。テニス選手から名前を取ったのも当然、何とクゥニーの飼い主一家は現在のスペイン男子テニスのトップを担うアレックス・コレッチャ・ファミリーだったのです。もう、興奮! セルヒオが三人兄弟の長男でクゥニーの持ち主、ジュニア選手のコーチをしているので遠征などで留守にする時は、父親が連れてきている(あのオジサンでした)との事。そしてその弟がアレックス選手。一番下の弟がイヴァン、三人共にテニス好きだった父親の影響でテニスを始め、それぞれジュニア時代から活躍をしたそうです。将来を有望視されていた   イヴァンが14歳の時に友人のバイクの後ろに乗っていて事故に会い、片足を切断した時ほど辛く悲しかった事はない、と後にコレッチャおじさんが話してくれた事があります。本当に仲の良い兄弟、そして家族の絆の強さを感じさせてくれる一家です。

「ベルは大きいなぁ。僕もダルはもっと大きくなると思っていたんだよね、なのにクゥニーはちっとも大きくならないんだ」と、同じ月齢だと知ったセルヒオが嘆く事しきり。会う人毎に大人と子供だと思われてしまい、同月齢だと知るとビックリされる事があまりにも多い為、気を腐らせているのでしょうか。
「ベルはイギリス系だから大きいのよ。きっとクゥニーはフランスかイタリア系なんだと思うわ。向こうのはみんな割に小柄だから」という私の苦し紛れの説明で、どうにか気が済んだらしく、次に会った時コレッチャおじさんが「どうして同い年でこんなに大きさが違うのか」と、実にストレートに質問してくる人(スペインには婉曲的表現は苦手という人が多い)に対して、この説明を繰り返しているのを聞いて、やはり家族全員随分気にしていたんだなぁ、と思いました。
「ベルは盗み食いはしないかい? いやぁ、昨日ね、クゥニーったら、キッチンに用意してあった羊のリブロースを14本も食べちゃったんだよ、生のままで。うちの奥さん、さぁ食事をと思ったら一本も残ってないんでもう大騒ぎだよ。おまけに吐いちゃって、そりゃそうだよね、消化できる訳ないんだから。この間なんか、玄関を開けた途端、サイドテーブルに並べてあった写真立てがぜーんぶ落とされて滅茶苦茶になっていて、泥棒が入ったのかと大騒ぎしたんだよ。留守番させておくと何をやらかしてるか知れたもんじゃないんだ。セルヒオの携帯電話も齧っちゃたし、テレビのリモコンもやられたし」と、遊んでいる時はすごく良い子に見えるクゥニー、寂しがり屋なのかヒスルとスゴイみたい。ベルは盗み食いをしないというか、盗み食い常習犯猫のキキがいる我が家では、ものを極力出しておかない様にしているので、盗み食い出来ないのかも。

 それに実は、まだ独りでお留守番を長時間させた事がないのです。家に置いておくと暴れてスリッパを齧るし、椅子の足に齧り付くし(これは歯の生え変わりに関連しているのだとか)、心配だし、不憫だし。と言うので、私が仕事でいない時は(このところ忙しいのでほぼ連日)、夫が建築現場を見に行く時も苦手な車に乗せられて一緒にお出かけです。可哀想に毎日の様にゲロゲロして、すっかり車恐怖症になってしまいました。
 でも、クゥニーは呼べばちゃんと来るし、他の人に触らせないほど臆病なところが難と言えば難ですが、おちゃぴぃ過ぎて言う事を聞かないベルとはエライ違い。ベルったら呼べども呼べども知らん顔。本当に耳が聞こえているのかと真剣に悩んでしまいます。ダルは難聴が出やすいというリスクがあるのだそうで、片耳だけなら日常的な生活には困らないそうですが、両耳となると生きて行く事自体が困難な場合が多いので、獣医と話し合って処置するように、と本に書いてあります。ベルは一応聞こえているようなのですが、これこそ「聴く耳持たない」なのかしら? 遊びに夢中になると何もかもぶっ飛んでしまうみたいなのです。

 ある日、夕方の散歩に広場に連れ出したフウが青い顔をしてぐったり帰ってきました。ベルが広場から逃げ出して道を渡って何処かへ行ってしまったので、広場にいた犬友皆なが探してくれたとの事。探せども探せども見つからず、広場の近くの道は村のメインな通りでもあるので交通量も多く、大変な心配をして探しあぐねた挙句、もしやと思って家に帰ってきたら下の入り口の所にいたというのです。しかもピザ配達のお姉さんにくっ付いて、玄関の所で頭を撫でてもらっていた、とか。
「呼んでも呼んでも来ないんだよ。追いかけたら逃げて行っちゃうし。もし車に轢かれたり、誰かに連れて行かれたりしたらどうしようかと思って、泣きそうになっちゃったよ。なのにピザのお姉ちゃんと一緒にいるなんて」と、疲れ切った顔のフウの横で、ケロリとしているベル。この性格、何だか先行き不安な気配がするのでした。でも元気者のベルはその人懐こさで、犬友の間でも人気者。飼い主にスリスリと挨拶するのを欠かした事はありません。何しろ人に撫でてもらうのが大好きなのです。身体はだんだんと引き伸ばされてきて、ぽっちゃりとしていた幼児体型から脱しダルらしくなって来ました。頭の大きさに比べてまだ耳が大きく垂れ下がっていて、頭のトップにちょいと抓めるほどの皺があります。実はこの皺も我々家族の心配の種でもあったのです。
「ウルトラマン太郎みたいだよ」
「もっと頭が大きくなるから伸ばされるんじゃないの?」
「そうだよね、ディジー(ママ)の頭もメスにしちゃぁ大きいものな」
「で、真ん中で区切れてるじゃない、ポコンって」
「まだ子供だからね、ベルは。もぉっと大きくなるんだよね」と、夫はベルにべたべた惚れ惚れ。
「オーナーは僕だからね」とフウは釘を刺すことを忘れません。

犬を飼ったらまずしたがる事って、「お座り」「お手」を覚えさせて誰かれなく披露し、「お利口ちゃん」と言われたい、いえ言わせたい事かも? 早速夫が「お手」を覚え込ませようと練習したところ、何とすぐに覚えてしまい、それからは「お手」だの「お代わり」だの、次々繰り出すパンチでおやつをおねだりする術も覚え、食べ物に関する事だけに飲み込みの早い事。
「ベルは頭が良い。そこら辺の雑種じゃ、こんなに直ぐ覚えないぞ」と、どこまでも犬可愛がりな夫。そのうち1度頭を撫でてもらうともっともっとの要求にこの「お代わりパンチ」を繰り出すようになりました。それは通りなどで初めて会った人に対してまでも、そうやって「お代わり」のおねだりをするので、これが大受けでベルはすっかり人気者。

そのうちに甘い男2人はベッドにベルが上がることを許してしまい、フウは一緒に寝たくて仕方がない様子。猫と違って(キキもフェリもベッドに入れた事はありませんでした)、犬は成長する速度が違います。仔犬のベルもディジーやドゥルスバみたく育ったら……。いくら小さく生まれたとはいえ、サルゥが教えてくれた食欲増進剤の成果が出て、このところ良く食べ良く遊びの生活。大きくならない訳はありません。ですが、目の前の可愛さに目が眩んだ夫は、明け方に寝室に来たベルをベッドへと招き寄せてしまいました。一度許したら、もう駄目です。毎日明け方近くになると、ふっと目覚めた時の寂寥やるかたないものがあるらしく、「入れて、入れて」とドアをガシッガシッとノックする事を当然の権利とわきまえ、徐々にベッドの占有率が拡大して行くのでした。そう言えばベジェスの所に残ったあの子はどうしているでしょう? 唯一近くに残った姉妹、その成長具合が気になるところです。大きくなったかしら。この週末には会いに行きましょうか。

 ベジェスの処に電話をすると、今直ぐにでも来いと言うような歓迎振り。土曜のお昼を一緒にと誘われ、久し振りにベジェスの家に着くと、まず全員が門の近くの犬止めの柵まで駆け寄ってきて、ワォワォと吠えてご挨拶。ベルは興奮のあまり嬉しおもらし。
「外から犬が来た時はね、一度に会わせちゃいけないんだよ。これ、向こうへ行きなさい、シニア。まずはジョーからだよ」と、ビセンス。ジョーはオスですからまずは問題なし。匂いをくんくんしてすぐに容認してくれます。次はお祖母ちゃんのドゥルスバ。相変わらずの美人振りです。仔犬がじゃれ付くと唸っていたお祖母ちゃんも大丈夫。お次はママのディジー。ママのディジーにはベルが娘だという記憶は残っているのかしら。ベルは恭順の意を示し、嬉しおもらしをもう一度。ディジーはシニアを守ろうとするのか、ちょっと唸ってベルを教育します。皆ながベルの嬉しおもらしを嗅いでやっと仲間入りです。最後に姉妹のシニア。もういきなり取っ組み合いのお遊びタイムに突入。やっと全員に認可され紐を外してもらったベル、庭を走り回ってご機嫌です。 「結局血統書のGLICINIAからシニアにしたのよ」と、サルゥ。今回の名付けは随分時間がかかったみたい。
「シニアだからベルのお姉さんだね」と、フウ。
「だって、大きいもん」
 そうなのです、シニアったらベルよりは一回りちょい大きい。
「ね、あんまり皺が寄らないと思わない?」
「ホントだ、ベルほどじゃないね」と、家族全員なかなか皺が消えないベルに不安が募ります。

hermanas.jpg広い庭で転げまわって遊んでいる二人。ディジーママは結構落ち着いた感じで見ています。シニアは本当に大きくて、また身体全体にスポットが少なく、何だか楽に数え切れそうなくらいその白さが際立って見えます。お腹のラインもえぐれた感じで、まだ幼児体型からの移行中のベルとは違い、すごく大人びてすっきり見えるのです。時々加熱した二人が唸りあったり、過度に噛み付きあったりすると、ビセンスかマニュエルがびっくりする程の大声を張り上げて怒ります。
「叱るには大きな声をあげる事だよ、新聞紙を丸めたものを手でバシッと叩いたり、とかね。犬を叩く必要はないんだ」と、マニュエル。なるほど。大声で怒鳴られた二人、びくっとしてちょっと火が収まったみたい。でもまだまだ遊び足りない!

 また、今日の訪問の楽しみのひとつに仔猫を見ることがありました。サルゥの猫キリが仔猫を生んで、その2匹を手元に残したと言うのです。先日サルゥから、貰い手に心当たりはないだろうかと連絡を受けたのですが、6匹のうち2匹を残し、後は残念ながら処分したとの事。
「いくらママがチャンピオンでも、そこら辺りでぶらついてるやくざなオスが父親じゃね」と、サルゥはちょっとしんみり。陰でこっそりビセンスが、
「あんな風にほったらかしで遊び歩かせるんだったら、とっとと手術すべきなのさ。ま、僕の猫じゃないから何も言わないけどね」

 回復したキリは早速避妊手術をしたそうですが、まぁ、仔猫達の可愛らしい事。「シィ」と「ノン」と名付けられた二匹は、私の大好きな黒トラでヒマラヤンのママの血を引いて毛がちょっと長めの美猫なのでした。また、ママのキリも堂々としています。ダル達が来ても警戒をしてはいますが、うちの猫達のように後ろも見ずに逃げ隠れ、何てとんでもない。ちょっとでも必要以上に近づこうものなら、フーッと威嚇します。ベルもキキやフェリとは様子が違うので、別段追いかけようともしないのが、これまた不思議。
「まだ相変わらずなの? きっと逃げるから追いかけるのよ」
 我が家の猫たちは相変わらずと言うのか、エスカレートと言うのか。徹底的にベルを敵視していて、いまさら共存「ふんっ!」と言う感じ。しかもどうやら先日の雨で濡れた時にベルは風邪を引き、鼻水を巻き散らかしてくしゃみをするので大騒ぎになって、オメオパタと言う西洋漢方の薬をペパに投薬してもらいどうにか治ったばかりなのですが、その際に外に出ない無菌状態の猫たちもベルから風邪を移されたらしく、生命力の強いキキはどうにか治ったのですが、キキからフェリへと移り、薬を飲ませようとすると大変な抵抗を繰り返すので、ほとほと手を焼いている所でした。犬は針のない注射器でピュッとシロップ剤を飲ませられますが、猫はまず捕まえて押さえ込み、口を開けさせて喉の奥に注入すると言う、手袋なしにはやれない事を日に二度も、2週間も続けるなんて決死隊の構えがいるのです。思わず「ハァ~」と、溜息。

 さて、今日はもうひとつマニュエルがパエジャをご馳走してくれるという楽しみがあって、庭からは薪の燃えるいい香り。食事の準備をマニュエルとサルゥに任せて、ビセンスと私達は犬の散歩に行く事にします。何しろベルを入れて総勢5匹のダルが行進していくのですから、しかもどれもこれも立派な体格で美しいダルばかり。これは見ごたえのある行進です。もし事故でもあったら大変だから、森に入るまでは絶対に離さないと言うビセンスに、この間ベルが広場を抜け出して家にまで帰って行った事を話すと、
「気をつけないと。こんなにいいダルなんだからね」と、心配してくれます。
「買い物の時も店の前にちょっと繋いでおいて、なんて絶対にしちゃだめだよ。盗まれるからね。うちの子が引き取られて行ったところで、毎日パン屋へ買いに行く時連れて出ていてね、店先に繋いでいたんだそうだよ、毎日だよ。頼んである何時ものパンを貰うほんの僅かな間なのに、店を出たらいなくなっていたんだ。誰かが連れて行ったのさ。次の日に電話がかかって来て、お宅の犬を預かっているけど、いくら礼金をくれるか、だとさ。いい犬は見ればわかるから、金になるって思う奴らがいるんだ。バジェカルカに住んでいる友達の獣医がね、毎日自分の家の犬を放してやって散歩に一人で行かせてたんだけど、ちゃんと何時も帰ってきてたんだよ、でもある日帰ってこなくて、やっぱり電話があって、お宅の犬の名前はなんて言うのかって。これはきっと見つけてくれたんだと思って名前を教えたら、そのまま電話はぷつり。同じ名前で呼べば早く馴れるからって思ったんだろうけどね、この国にはひどい奴らが一杯さ。バカンス前になるとやたらと捨てる奴らが増えるし」と、ビセンスの怒りの口調は収まらないのでした。危ない話を聞いてフウは気を引き締めているみたい。この間は本当に苦しんだものね。

 さて、ドゥルスバとディジーを二股に分かれた鎖に繋ぎビセンスが、ジョーを夫が、私がシニア、そしてフウがベルを連れて、それっと言う感じで庭の裏手の急な坂を登って行くと、宅地開発の最後の部分から松の森が広がっています。ここで放してもらった5匹の犬たちとビセンスはこの森の中の急な斜面をぐいぐいと入っていきます。これはとんでもないハイキングコース。途中で私達は息切れしてしまい、思わず毎日連れてきているのか、と訊ねます。
「そうだよ、仕事から帰ってきてからね。夕方の6時頃からかな。もちろん冬は真っ暗だけど、もう犬も自分も道を知ってるからね、懐中電灯持参だけど問題はないよ」と、何でもない事のように話すビセンス。そうか、やっぱりこれだけの運動量をこなさないと、あのえぐれたラインにはならないんだ、まだまだ頑張らなくちゃ。
「もっと運動量がいるね」と、夫も心密かに期するところがあったようです。それにしても急な斜面です。土は赤く乾燥しており、松はこの辺りの松がみんなそうであるように一様にひょろひょろと伸び、高い梢には松ぼっくりを鈴なりにしています。足元は潅木が茂っていますが、ビセンスがやおら腰を屈めて何かを手折ると、私を見てにっこり笑いかけました。
「もう5月だからシーズンは終わりだけどね」と、見せてくれたのは野生のアスパラガスでした。細くしなやかな野生種からは、爽やかな初夏の香りがします。ビセンスが次々に見つけて、野生のアスパラガスを摘む楽しみを犬友広場は花盛りた夫と私は大興奮。実は私達、友人からは収穫夫婦と呼ばれているのです。茸や蕨、野生のプラムに木苺、ブルーベリーと、自然は美味しい。そして美味しい自然は私達に優しいのです。森の中では勝手知ったるダルたち勢い良くあちらこちらへ駈け回り、一体誰が何処にいるのやら。さて帰ろうという段階になって、ベルとシニアが見当たりません。呼べども姿を現さずフッと下の方を見ると、家への道路を二人がくんずほぐれつジャレあって駈けて行こうとしているではいませんか。さすがのビセンスも大慌て。必死で呼びとめ、なんとか二匹を引き寄せ紐に繋ぎます。歩けば5分程の距離ながら、もし車が通ったらと思うと冷や汗ものでした。

 家の中に入れる前に、まずビセンスがダルを1匹1匹点検しています。
「ガラパタ(ダニ)が付くから気を付けないと。噛み付いて肉を食い破るんだよ。耳に入ったら大変さ。あ、いた。ほらこれだよ。よく潰しておかないと」と見せてくれたのは濃茶の虫でした。
「それと蚤ね。犬蚤は人間には付かないけど、このガラパタは人間にも噛み付くから気を付けた方がいいよ、すごく腫れるんだ」
「危険ね」
「薬があるから獣医に相談するといいよ」と、今日もまずひとつ注意事項を頭にメモ。

さて、ひと束ほどになったこのアスパラガスを、マニュエルが早速トルティージャにしてくれるとか。トルティージャというのはスペイン風オムレツの総称で、じゃが芋が入ったものが有名ですが、実にバラエティに富んでいて、じゃが芋のトルティージャにも玉ねぎ入りのもあるし、ほうれん草、アーティチョーク、ズッキーニ、海の方に行くと海老入りなんていうのもあるし、本当にスペインの家庭料理の代表選手のようなものです。我が家では私が寝こんだ時に夫が作ってくれる薬膳料理のひとつに、玉ねぎを入れないシンプルなトルティージャ(お料理参照)が定番として位置付けられており、このひと皿は完全に一から十までお任せで、私自身は家でトルティージャを作った事がありません。しばしばぶっ倒れる癖のある私は、結婚直後に「その時用の一皿」を何か覚えておく様に夫に頼みました。トルティージャはむろんスペインに来てから、お産の時に彼が研究して物にした一品です。ほっくりと軟らかいくせにしっかりとしたトルティージャを食べられるようになると、たまに倒れるのもいいなぁとしみじみ思うのです。

manel.jpg 本日のお昼のメニューはと言うと、サラダとアスパラガスのトルティージャ(お料理参照)、マッシュルームのトルティージャ(お料理参照)、そして兎と鶏、モロッコ隠元の入ったバレンシア風パエジャ(料理参照)。奇を衒う事のないシンプルで伝統的な家庭料理。ディエタ・メディテラーニョ(地中海式食事)です。この地中海式食事はたっぷりのオリーブオイル、魚介、野菜、果物、そして赤ワインの組み合わせが、もっとも健康的な食事だという事で近年脚光を浴びるようになったみたいですね。パエジャこそはスペイン料理の代表選手の様に言われるけど、オリーブオイルの良質なものを使っていないと結構味がくどくなっていたり、基本的に塩味が濃いので、レストランで食べたパエジャで本当に美味しいと思った事は意外と少なくて、友人の家でワイワイ作ってくれたものの方が遥かに美味しかったりします。カタルーニャ風パエジャはサフランを色付けに使わず魚介から出た濃厚な色そのものを楽しむものが多く、黄色いパエジャをイメージしてるとちょっと違います。イカ墨パエジャも名物だし。バレンシアはお米の大産地だから米料理が多く、パエジャとは違う米料理がたくさんあって、これはこれでもっと家庭的な感じがして私は好きです。マドリッドに住む友人でイラスト・レーターのアナ・ホアン(扉絵のベルは彼女の作)が作ってくれたバレンシア式米料理はお豆とソーセージだけという具のシンプルさが、逆にとても新鮮で美味しかったですよ。(お料理参照)

 今回のマニュエルのパエジャ、具沢山でモロッコ隠元が入っているのがバレンシア風です。お味もスペイン人の好みからしたらとても薄味で、ちょうど良い塩加減。今まで食べたパエジャの中でも群を抜いて忘れられない味になりました。サラダもお酢を使わず塩とオリーブオイルだけというシンプル・ドレッシングなのに、オリーブオイルの力がしっかりしているので野菜そのものの味が活かされて何ともいえない味わい。このオリーブオイルはむろんエキストラ・バージンで生まれ故郷カステリョンの従兄弟が作っているとか。色も濃い目の緑がかった色でとても綺麗。そしてそして、期待のアスパラガスのトルティージャはと言うと、青くほろ苦い味が塩味だけで生きていて、口の中にスゥッと風が渡る様。病みつきになってしまうかも。最初に軽くオリーブオイルで炒め、卵液に混ぜ込むというだけのシンプルさですが、この卵も自家産。素材に力があるもの同士、それだけで美味しい。お腹も一杯になったところで、持参のイチゴのタルト(お料理参照)とたっぷりの紅茶を戴いて、またまた犬談義が弾みます。そして驚くべき知らせが。
「6月のレリダのエキスポジションにベルを出さないかい? ちょうど5ヶ月になるから仔犬クラスに出せるんだよ。うちはジョーとシニアを出すつもりだ。ディジーはまだお産疲れがあるしね」と、ビセンスから申し出があったのです。
「ベルはこんなに綺麗なんだから、絶対出すべきよ」と、熱くなるサルゥをマニュエルとビセンスが諌めます。
「サルゥ! 無理強いはダメだよ。これは君たちが決める事なんだよ」
「今までにも何人か誘って出した事があるけど、なかなか続くものじゃないんだ。エキスポジションに出せる犬を育て上げるのも、毎回連れて行くのも大変だしね。だから、無理はしない方がいいよ」

 あぁ、思えばこの日が本当に私たちのダル道への第一歩だったのかもしれません。ビセンスたちだって、私達がここまでハマッテしまうとは、全く思っても見なかったのではないかしら。この時点ではまだ、私たちは無邪気なものでした。誘われたパーティに行ってみましょ、の感覚ですね。
「あら、楽しそう。行ってみる?」
「うん。そうだね」
「いいんじゃない」と、これが何もかもの始まりとなったのです。
「じゃぁ、ちょっと手本を見せるから練習しておいた方がいいよ。ジョー、おいで」と、マニュエルが呼ぶと王者の貫禄を見せてジョーがゆったりのったり登場します。
「これがエキスポジション用の紐。こうやって締めるんだよ」
「色は黒がいいね、ダル用には」

 その紐は細くて先が頭を通せる様に輪になっており、調整用のリングが二つ付いていて首にぴったりと締められる様になっています。手元のところも手が掛けられるような小さ目の輪になっていて、長さは一メートル程です。これを首に掛けられたジョーはじっと動かずキメのポーズを取っています。家の前にある煉瓦敷きのポーチで、まずマニュエルがジョーを走らせてくれます。
「必ず自分の左側を走らせるんだ。紐を少し引っ張って頭を下に向かせない事。常に犬だけを見てなくちゃ行けないよ」と、ビセンスが解説してくれます。力強く走るジョーはちゃんと首を上げて前だけを見つめています。
「ジョーはもう自分で自動的にプレゼンテーションできるからね。じゃぁ、ちょっとベルでやって見よう」と、マニュエルがベルに紐をかけました。まずは立つ練習から。
「何かこうやってご褒美を見せるんだよ、そして首を上に上げさせるんだ」と、マニュエルが乾燥フードをひとつ摘まんでいます。
「まぁ、ちゃんと綺麗に立ってるわ!」
「血だね、やっぱり」と、ベジェスたち、ベルを持ち上げる事しきり。でも、そうなのです。初めてだというのに、ベルったらちゃんと立ってご褒美を見上げてゴックンゴックンと、でも我慢しています。涎が落ちそう。あ、ジャンプしておねだりしてる。そのうちすっかりお座りして「お代わりパンチ」を繰り出す事しきり。夫が「お座り」と「お手」「お代わり」を教えたと言うと、
「ダメだよ、絶対にお座りを教えちゃ。エキスポジションの犬は座っちゃいけないんだ」と、ビセンス。
「リンクで座ったらちゃんとプレゼンテーションできないだろ? これからはやらせちゃダメだよ。こうやって餌を見せて綺麗にじっと立たせる練習をしないと」
「エ~ッ! お父さんが余計な事教えるからだよ。お利口だとか言っちゃって!」とフウは心配のあまり怒っています。
「大丈夫だよ、直ぐ忘れちゃうよ」と夫、苦肉の良い訳。

今度は走る練習です。下を向きそうになると、紐をクイッと上げて上を向かせます。ウ~ム、すごいなぁ。息を切らせてマニュエルが教えてくれたように、私が真似てみます。でもベルは私が相手だと遊んでもらえると思ってか、ピョンピョンと落ち着きがありません。でも引っ張っていると何とか走りはしますけど。
「もう少し速く走って」
「早過ぎてもダメだけどね、骨格がちゃんと作られていない犬は走ると直ぐに判るんだよ。だからゆっくりしか走らせないんだ。でも、うちの子達はしっかりした骨格をしてるから、ちょっとスピードを出した方がもっと筋肉が綺麗に見せられるんだ」
「それと運動してないと爪が伸びて足の形が綺麗じゃないんだ。走りこんでいる犬は爪が磨り減っているから、綺麗な猫足になっているんだ」
「ほら、こんな風にね」と、ビセンスがベルの足を持ち上げて見せてくれました。
「ちゃんと運動してる証拠よ。腰の筋肉もしっかりしてるもの」と、サルゥがにっこり。私は何週か走って息が上がってきました。結構犬と一緒に走るって大変です。ベルはまだまだ遊び足りないのか、シニアとまたもや取っ組み合いで遊んでいます。
「それとね、エキスポジションの前の日に、このシャンプーで洗ってやりなさい。犬はあまり洗っちゃいけないんだけど、これは毛を傷めない特別なシャンプーだから、大丈夫よ。それからこれはね、お産の後とかで毛の質が落ちた時に飲ませる薬なんだけど、きっと効くと思うわ。この禿げが心配なのよ。一日二錠だから直ぐなくなっちゃうけど、バルセロナのあそこのペット・ショップなら何時もあるから。ヨークシャー・テリアのブリーダーで友達なのよ」と、サルゥが特製シャンプーと犬の毛生え薬(?)、ペット・ショップの住所を渡してくれました。お金なんてとんでもない、と言って相手にもしません。
「カサノバの子だからベスト・コンディションで出てもらいたいの」の一点張り。どうもありがとう。
「後はね、こうやって歯を見せられる様にしておかないと、いけないのよ」と、ジョーの唇(?)をびろ~んと捲り上げて歯並びを見せてくれます。前歯の噛み合わせから両サイドの噛み合わせまで、実に簡単至極そうにさぁっと見せてくれます。ベルにもやろうとしたら首を振ってものすごい抵抗。
「毎日口を触って、慣れさせておかないとね」
「誰だって口を勝手に触られたら、嫌なもんだからね。でも、歯並びも重要なんだよ。絶対的な要素ではないけどね。審査員にもよるし。ディジーは両側で二本生えていないんだよ、でもチャンピオンになった。シニアも二本ないんだ、遺伝したんだね」
「でも、ベルは全部生えてるわ」と、サルゥがいやいやをしているベルを何とか押さえ込んで、びにょ~んと唇を捲り上げて言いました。
「ドイツだと歯並びが一番重要なんだよ。骨格やスポットより、何を置いても歯並び。変な国だろ。イギリスはそんなでもないね、まずは骨格だから。フランスは白っぽいのが好みだし、あまり大きいのはダメなんだ。イタリアのはみんなガリガリだよ。あれはちゃんと食べさせないんだ、アバラが見えてるものな」と、話しは尽きないのです。イギリスのダル・クラブのハンドブックを持ってきて写真を次々に見せてくれます。最初に歴代チャンピオンの血統、そして写真が出ていて、私なんかからするとどれも綺麗な良い犬に見えるのですが、彼らにかかっては一匹一匹が批評の的。これは良い犬だよ、と誉めるのなんてそうざらにはいません。これは彼らが会員になっている「ブリティッシュ・ダルメーション・クラブ」が発刊しているブリーダーのカタログ誌のようなもので、年会費とは別にいわゆる広告料を払ってブリーダーが自分の血統を宣伝する為に出しているものです。最初に犬の各部位の呼び名が図解で示してあり、続いて正しい骨格、正しい走り方、正しい歯並びといった「スタンダード」に関しての記述があり、これの最低限レベルをクリアーしていなければエキスポジションに出せる犬ではない、と言った類の規定が書かれています。むろん猫足に付いても書かれていました。走っている時に足がどう見えるかも、つまり肩幅より開いていても狭まっていてもいけない、正しく肩幅と同じでなければいけない、とか。

う~ん、これが「スタンダード」の規定だとすれば、これははっきり言ってとんでもない「エリート」の規定と呼べるのではないでしょうか。例えばスポットは好みの問題でお国によって違うとしても、その他の事は持って生まれたものであり、これはスポットが変わらない様に生涯変わる事がありません。正しい歯並び、特に骨格(胸の角度、後ろ足の角度まで規定してあるのです)が正しくなければ、ちゃんと走る事も出来ない訳ですよね。これにスポットの良し悪し、頭と身体のバランス、毛並み、個性、動きの優雅さ、といった諸々の事が組み合わされて醸し出される全体美。これを競うのがエキスポジション、と言う事になりそうです。「スタンダード」を単純に「標準・基準」などと思ったら大間違い。それはダルの理想像なのです。いかに「基準と称される理想像」に近づけるか、情熱を燃やしているのが真のブリーダーなのですね。

 最初からジョーやドゥルスバ、ディジーというチャンピオンだけを見てきた私たちは、ダルってみんなこんな風に美しいものだと単純に思い込んでいたのですが、犬友広場でクゥニーを知って以来、誰が見てもその違いが判ってしまうほどに「スタンダード」とそうではない子との、歴然たる差を現実として見て、私たちはベルの価値を再認識するに至ったのでした。

 ですが、犬を飼うという事はエキスポジションに出すという事だけではありませんし、それが第一でもありません。「まずは家族のペットだという事、これが一番大事な事なんだよ」と、ベジェスたちは言います。本当にその通りだと思います。家族として愛し、共に生活を分かち合う事、まずはその為に飼われるべきであり、それが「プロのブリーダー」との違いだと、ビセンスたちは言います。
「プロのブリーダーたちはね、何匹も何匹も飼っていて、おまけに檻の中で飼っているから、ちゃんとした運動なんかさせられないよ。次から次に掛け合わせをして仔犬を売って生計を立てている。家族として愛されて育つのとは違うから、性格だって良くない。僕達のはホビーなんだ。他の人達がスキーをしたりテニスをしたりするのと同じさ、自分達は他に何にも遊ばないから、ダルだけが楽しみなのさ」
「そうそう」

 でも、このホビーの為に英語もフランス語も学んで、あちらこちらの大会に連れて行くのって、心からスゴイと思うわ。ビセンスはイギリスでダル・クラブ大会の審査員も務めた事があるそう。
「ほら、これがターキスタンだよ。ジョーはここから来たんだ。映画のポンゴもそうだよ。父親が同じターキスタン・タバスコだからね。バーレィって言うんだ。今も元気でね、ディジーの実家にいるんだよ。そうだ、ジョーが赤ちゃんの時のビデオがあるんだ、見せてあげるよ」と、マニュエルがビデオを見せてくれました。
「これ、これがジョーだよ。ターキスタンのジョアン(オーナー夫人)が撮って送ってきてくれたんだ」
「写真は騙せるからね。本物が動いている時を見ない限り、実際のところは判らないんだよ」
「そうそう」と、常に女房役のようなマニュエル。
「可愛いね、これがジョーなの? ベルの小さい時に似てるよ」
「そりゃぁ、そうだよ。ベルの血筋にだって入ってるからね、ターキスタンは。ドゥルスバの父親がターキスタンなんだ。そりゃぁ、いい犬でね」
「ルーカスはね、グラン・チャンピオンだよ」
「ディジーのとこだって混じってるよ。大体似た血筋同士で掛け合わせるんだ。あまり近いのは良くないけど、何代毎かに同じ血統を入れてまた血を戻すみたいにしていくんだよ」
「馬と同じだね」と夫。
「何代も何代も遡って血筋を見て、決めなくちゃいけないんだ」
raim.jpg本当にダル道は奥が深いのでした。この「ブリティッシュ・ダルメーション・クラブ」のハンドブックには“リブラ・カサノバ”も載っています。インターナショナル、フランス、スペインのチャンピオン“GAYFIRD ASTERIA”ことドゥルスバはTVや雑誌広告のスターと銘打ってあり、スペイン・チャンピオンでベルギーのダル・クラブのヤング部門優勝者 “THEAKSTON TROUBADOR”ことジョーは紳士が売り文句。それぞれピッと極めポーズを取っています。すごいなぁ。世界に通用するダルを作り出しているのは、スペインでは自分達だけ、と言いきるビセンスの自信のほどが窺えます。次から次へとページを繰って、
「ほら、これはディジーの父方のお祖母ちゃんだ」とか、
「これがルーカス。ドゥルスバのお父さんだよ、ベルの父方の曾祖父さんだ」
「それとディジーの曾祖父さんでもあるんだ」
「これはディジーの母方の祖母さんだな」と、一気に言われたって訳が分るものじゃありません。その合間に、
「こんなのがチャンピオンだなんて、へッ!」とか、
「ひどいね、このスポット。これは胴が短い」と、まぁ批評が雨あられ。その早口言葉に付いていくだけでも目が回りそうです。
「胴が短い?」
「そう。大体オスはメスより胴が短いんだけどね。メスは子供を産むために空きがあるからね。でも、ほら、この犬は全体に短すぎるね。長すぎるのも良くないけど」
「いい犬をたくさん見る事だよ。数を見ていかないと、早々簡単には判らないものさ。写真もたくさん見ておくといいよ」
「ただし、写真だけでは本当のところは判らないからなぁ」
「そうそう。写真は騙しが効くからなぁ」
 ベジェスたちの絶え間ざるダル道教育に感化された私たちは、少なくとも「スタンダード」とは何か、と言う事だけは解り始めてきたようです。しかし基本的に「スタンダード」を尊重するのは、純血種の質を守ろうという事であり、「血統」にのみこだわるのとは違う事、だと私は思います。

6月のレリダ大会の申し込みはベジェスたちがしてくれる事になりました。プレゼンテーションもマニュエルがしてあげる、と言うので何もかもお任せの気分で、その日までに走る練習を毎日少しでいいからしておくように、口も触らせ慣れをしておくように、と言われても、何だか「フンフン。はい」と言う、これぞ大船に乗った心持ちでここまではなーんの心配も気苦労もなく、これがまさしく「行きは良い良い帰りは怖い」に陥るとはユメユメ思わず帰途に着いたのでした。