4匹目  過激なる公園デビュー


ベルが来て1週間後の日曜、予てから約束してあったカルソッツを食べに友人のカッファの所に、ベルとの初の遠出です。まだ車に酔うのではないかと心配ですが、先週の予定を遅らせてもらったのと、桜の花見を兼ねているので花の終わらぬうちにと、これ以上は引き伸ばせないし、いざ決行。
fu.jpgカッファは本名をエドワルドというアルゼンチン生まれですが、父親はカタラン人。フランコ政権に抵抗し自由を夢見てアルゼンチンに渡った父親でしたが、内戦が勃発し引き上げてきたとの事。生まれ故郷でありながら2度と帰りたくない、とカッファは言います。自分のすぐ傍で叔父さんが銃で撃たれて亡くなったそうです。内戦の悲惨さというのが最も深い亀裂を生むのでしょうか。アデの夫である友人のパブロも、やはり同じ状況で引き上げてきています。彼の父親もカタラン人、母親はクロアチア人。パブロのお父さんは生粋のカタラン人で現在も地元新聞のカタラン語の校正係として、カタラン語に殉じています。

さて14歳でバルセロナに引き上げてきて以来こちらで暮らし、イラストレーターとして生活しているカッファと私は、かつての仕事仲間。スペインの漫画家を日本の漫画雑誌に紹介するという仕事をしていた時に、カッファは「生きている惑星」という地球に暮らす動物を主人公としたカラーシリーズを掲載していた事があり、それ以来の友人なのですが、この仕事関係が終わった今でもエドワルドというよりカッファのペンネームの方が呼びやすくて、ついそう呼んでしまうのです。彼の奥さんのマルガリータは年齢不詳。実はうんと年上らしいのですが,そんな風にはまるで見えない。彼らはもう20年以上一緒に暮らしていて、正式に入籍手続きを済ませたのはほんの2、3年前だった筈。カタルーニャにはこういうカップルが割に多いのですが、これはある意味で豊かさと自治性を示しているのです。

スペインの他の自治州と違って、このカタルーニャは男女同権の思想が古くから取り入れられており、これはフランスの前身であるフランク王国に統治されていた時代がある為、法制度をフランスから学んだからだと言われています。自由と平等。これを求めてカタルーニャは市民戦争へと突入した訳ですね。そしてこの地方の豊かさが女性に働く場を与え、自由裁量を認めているのです。また、かつてのスペイン法では共稼ぎ夫婦の方が税率が高くなる、という損失もあって入籍をしないカップルが多かったのです。このカトリックの国で、と以外ですが。現在は税法が変わり、入籍夫婦で共稼ぎの方が良いらしく、ではと言う事で入籍するカップルが増えたと聞きました。スペインでは子供は自分の名前の後に父方の苗字と母方の苗字を名乗るので、子供の苗字の問題は見た目には判り難いのです。認知されていれば問題なく父方の苗字も名乗る事が出来ますからね。私の友人の働く女性たちは日本の女性は何と窮屈なのだ、とよく言います。今は結婚後も旧姓を名乗る事は出来るようになった、というと全員「当然!」と頭を大きく振ります。カタルーニャ女(カタラーナ)は強いのです。支配欲が強い女性のことを“ドミナンテ”と言いますが、「彼女はすごいカタラーナだ」という表現は、カタラーナ=ドミナンテとなります。ところで日本女性というと未だに「芸者」のイメージのままなのかしら。「ある芸者の思い出」という本がベストセラーになってから、その手の質問をよくされるのを鑑みると、実はスペイン人の男性は強過ぎる自国の女性に少なからず閉口しているのかも知れませんね。日本の女性は結婚するまでは割と自由で、結婚すると枠の中で生きる方が無難だから閉塞的になる人が多い、と説明すると女性は納得いかないという顔をするけど、男性は助かるという顔をするのも面白い。

bellbara.jpgそれともう一つの要因はカトリックの支配力が弱まって来た事。かつて結婚は神との契約と言われ、教会でしか結婚できなかったし離婚は許されませんでした。未だに堕胎法で揉めているカトリック教国、フランコがこの組織をうまく利用したのが祟って、カタルーニャでは教会で結婚式を挙げたがらない人たちが多かった訳です。教会で結婚式をあげると離婚手続きも大変面倒らしいし(神との契約を反故にできるのは、モナコの王女やフリオ・イグレシアスの様な金持ちだけだそうな)、最近は市役所で市長が仲介者となって入籍手続きにサインをする形式が増えました。それでも教会の結婚式、と言うのは独特の夢がある訳で、その華やかさに惹かれるカップルも沢山います。

獣医のペパの結婚では家族が大揉めに揉めましたっけ。結婚に大反対だったペパの両親、しぶしぶ折れたけど最後まで教会での結婚は止めて欲しい(離婚しにくいから)と言ってましたものね。ですが女の子の夢って、華やかな結婚式と言うのがある意味でひとつの頂点になっている場合が多いのではないかしら。ペパも然り。結婚式はピホ(成金)の新郎側の雰囲気を表した非常に華やかなものでした。また他の話では根っからのカトリック教とのお祖母ちゃんが、プロテスタントの若者と結婚する孫娘の結婚式で、「なんて醜い結婚式なの!」と嘆いたとか。

 さて、カッファの事。彼はコンカ・デ・バルベラと言うタラゴナ県の方に田舎屋を週末住居として買い取り、自分で修復しているそうで、その辺りはカルソッツの本場が近いのです。カルソッツは泥ネギ、と言えばいいのかしら。これを根付のまま焼きロメスコと言う独特のソースで食べるのが、カタルーニャの冬から初春の風物詩なのです。このカルソッツ、日本人なら一度食べたら病みつきになること請け合い。本当に美味しいので、日本でも冬の甘味を蓄えた泥ネギでやってみたら美味しいのではないかと思います(わざわざ冷凍輸入している日本の会社があるそうです・・・???)。ソースの作り方を書きますから、興味のある方はお試しあれ(お料理のページを参照)。もっとも本場のカルソッツは収穫が終わった後の、刈り取られた葡萄の枝で焼くのが本式で、その薄紫の煙の何とも言えない甘い匂いも味わいのひとつ。刈り取られ一本の節くれだった膝丈ほどの樹に戻った葡萄畑が、延々と続く田舎道を走って、落ち合う約束のコーポラティボ(協同組合式ワイン醸造所)に向かいます。コンカ・デ・バルベラと言うのはこの一帯の呼び名で(コンカと言うのは窪地と言ったような意味合い)、カッファの村はバルベラ・デ・コンカと、名前が逆さになっています。

 ところでベルはというと、高速は何とか大丈夫でしたが、がたがたクネクネの田舎道に入った途端怪しくなって、もうちょっとでコーポラティボという所で吐いてしまいました。どうもこれがその後の彼女の車嫌いの重要な一因になってしまったみたいで、長らく拒否症で苦しむ事になります。フラフラと車から下してやると、ご機嫌斜めではありましたがカッファとマルガリータにあやしてもらって何とか収まっています。

 午前中ならコーポラティボの中を見学できるというので、早速案内してもらう事にしました。建物は煉瓦積みでカタラン・ボールトを使った19世紀末のモデルニスモ(アールヌーボーのスペイン版)期のもので、この時代こういうコーポラティボ式ワインセーラーがたくさん各地で作られたのです。カッファ達とは顔馴染のおじさんが中を案内して説明してくれるのですが、昔ながらの煉瓦の美しいアーチに惚れ惚れ。ここがスペイン初のコーポラティボ形式であり、ガゥディの弟子セザール・マルチィネールの設計と知って、夫は熱心に見て回ってします。我が街サン・クガットのセーラーもなんと同じ建築家の設計だったのです。そう言えば我が家の前の通りは Avenida Plà del Vinyet つまりカタラン語で葡萄畑通り。きっとかつては一面葡萄畑だったのでしょう。

建物の中はひんやりと少し黴臭く、ベルは歩かせる訳に行かないので夫が抱いて行きます。夫の腕の中にすっぽり収まって、バランス的に耳が大きいのが可愛い。ここの売りは白ワインとカバ(発泡性ワイン)。案内してもらっている間にも地元の叔母さんなどが勝手知ったる風にやって来て、大きなステンレスのワイン樽から持参の5リットルポリ容器に白ワインを注いで、ぶら下げてあるノートに何やら書きこむと、おじさんに挨拶して帰っていきます。協同組合ですから、自分の畑に応じた取り分があるのだとの事。身体中に染み入るような発酵中の葡萄の、甘酸い匂い。
「ワインは一般には売ってないんだよ。地元っ子が入れ物持参で買いに来るんだ。カバは売ってるから後で買って帰るといいよ。日曜は午前中しか開いていないからね」と、カッファが説明してくれる側で、マルガリータが、
「白ワインを買って帰りたいのなら、後でうちから水のポリ容器を持ってきたらいいわ。今日飲む用のはもう買ってあるから」と言ってくれます。それは素敵な考え。食べるのも飲kaffa.jpgむのも大好きな私達、地元ワインを試せるなんてご機嫌です。

さて、地下のセーラーにはカバがずらりと並んでいます。それは独特な保管方法で、ちょうど壜のお尻辺りで止まる大きさの穴が板に穿ってあり、頭を逆さにされた壜が突っ込まれて整然と並んでいます。壜と板には白いチョークで何やら日本の婦警さんが付ける駐車違反のような印が付けてあり、これを目安に何日置きかに4分の1ずつ回転させていくのだそう。みんな手仕事です。壁には一面白いふわりとした黴が生えていて、閉所恐怖症気味の私はちょっとびびってしまいます。地下にあるカバ用のセーラーを見て外へ出ると、明るい春の陽射しに、しばし目眩まし。ホッ。太陽は偉大だ。カッファがポリ容器をひとつ調達してくれて、5リットルの白ワインを買って帰ります。家に帰ったら直ぐにガラス壜に移すように、とカッファが教えてくれました。ポリでは酸化してしまうのだそうです。1リットルが85ペセタ。一見売りはしませんとの事。カバは1本が800ペセタ程度とお手頃、これも三本ばかり買いました。

早速カッファの処で冷やされたこのワインを飲みましたが、防腐剤も何も入っていないとてもフレッシュな味はテーブルワインには充分。またカバも辛口でキリッとしています。カタルーニャのカバの大産地「サン・サドゥルニ・デ・アノイア」に近いこの一帯も、一面葡萄畑とアーモンド畑が連なり、その生産量は 99年にフランス産シャンペンを抜き、世界一を誇っているとか。カタルーニャではカバと言うのはデザートと一緒に飲む物であり、割に気軽に供されています。さて、おつまみは近くのポブレット修道院(王家修道院)の門前のパン屋さんで売っているという胡椒コカ。コカはパンの一種なのですが、分厚くて砂糖がけの甘い菓子パン風のものから、薄くてパリパリのこの胡椒ものまで随分バラエティに富んでいます。この胡椒コカ、口の中がひりひりとしますが何だか後を引く美味しさ。ワインのつまみにもぴったりです。
 ワイワイとワインを飲りながらカッファと夫はねぎを焼く火を熾します。ソースはマルガリータが既に作ってあるとの事なので、私が持参したお弁当を摘みながらねぎが焼けるのを待つ事に。ベルは畑が珍しいのか、はたまたこの辺りに充満している猫の匂いが気をそそるのか、あっちに引っ張りこっちに引っ張りと大はしゃぎで、フウはへとへと。実はカッファ達夫婦は大の猫好き。野良猫を見つけると捨てては置けない性分で、たまたま拾った猫が身重だった事もあって、現在11匹の猫持ちなのです。全部の猫を週末毎に移動は出来ないので、ここには数匹しかいませんが匂いに満ちているのは当然でしょうね。

sakura.jpgさて、やっと一本だけある桜の樹(といってもサクランボの若木です)の下で、お弁当と葱を戴きます。ベルは卵焼きやらおにぎりを貰ってご機嫌。鶏の唐揚げまで食べてますが、帰りの車は大丈夫? お腹もくちくなって春の陽射しの下、ベルと夫は気持ち良さそうにお昼寝です。
 夕方、腹ごなしも兼ねて近くをぶらぶらと散歩します。カッファ達の家の横手にはひょろひょろとした松とハリエニシダの潅木、そしてローズマリーやタイムの香草が茂ったちょっとした林があり、それも一応彼らの所有地だとの事。水道は来ていますが、電気が来ていないのでソーラーパネル蓄電器を付けたいと言っていますが、まだまだ時間が掛かりそう。菜園も作っていてトマトや青菜、それから今日食べたネギもここ育ち。何と柔らかい蓬が生えていて、私は早速若芽を摘んで帰る事に。草餅が楽しみ! 自宅の畑のすぐ横は葡萄畑。立ち枯れた杭のような葡萄の樹が整然と立ち並び、ここの刈り取られた枝を譲って貰ったとかで、今日の葱は本格派だった訳ですね。

村には10世紀のお城の廃墟もあり、十字軍の遠征時にも使用されたとの事。兵どもの夢の址。こういうお城の廃墟は至る所にありますが、独裁政権下で荒廃に任せたままなので、これから徐々に補修が行われていくといいんですけど。歴史を軽んじると何も残らなくなってしまいます。お城跡からは広々と広がる葡萄畑が四方に見渡せて、風が心地よいのでした。初めての遠足にくたびれたのか、帰りの車中では熟睡モードに入ったベル、吐くことなく無事に帰宅。

 さて、春休みが終わり学校が始まりましたが、朝のおしっこ散歩は約束通りフウの仕事。朝の15分と言うのは厳しい時間ですが、何とか横の広場への散歩をこなしています。三週間経って無事にワクチンも終わりお散歩は前面解禁です。夜のトイレも必要なくなりました。でも未だ紐を離す訳にはいかないので、近くにあるパセオ・ガウディと言う広めの遊歩道へぶらぶら歩きをしますが、これも何度も止まって匂い嗅ぎをしては、と時間の掛かる事キリがありません。でもよたよたからは少し進歩してぴょこぴょこになってきましたよ。

 このパセオ・ガウディは煉瓦敷きの散歩道になっていて、右手は低層のピソ、左手が原っぱになっています。この道は犬の散歩道として人気があり、私たちもかつてゴッスを連れて歩いた事があります。その横の原っぱは市の所有地で建物を建ててはいけない事になっており、原っぱの横手に図書館とコンセルバトリオ、そして映画館があるというちょっとした文化区なのです。日々少なくなっていく空き地が残っている貴重な場所です。遊歩道の両脇には大きなドングリがなる樫の並木が、未だ大きくはありませんけど日蔭を作り出し始め、ベンチが並べられた憩いの道になっています。私の住むサン・クガットという村、正確には市ですが、私たちがここに越してきた91年当時は未だ鄙びた村の趣が至るところに残っており、当時、私たちの住んでいたピソの横には製材所が、その向こうには麦畑、我が家の窓からはサン・クガットとバルセロナを隔てるティビダボの山並みが望め、雄大な感じがしたものです。その後バルセロナのベッド・タウンとして拡張が進み、周りには新しいピソ群が立ち並び、窓からは山も何も見えなくなってしまったようです。現在の私たちのピソからは未だわずかですが山が望めます。広大に伸びていた麦畑もどんどんと姿を消し、低層住宅へと生まれ変わり、村の面影は薄れるばかり、そして人の持つ気配も変わってきました。これはバルセロナ全体ですが、オリンピック前と後では人間が意地悪になってきたように感じます。

ま、それはさておき。このパセオ・ガウディの横の原っぱが犬のお遊び場として最適なのです。まず、お昼にぶらぶらと散歩に連れ出してやります。他の犬に会うと嬉しそうに飛び跳ねてご挨拶。ベルは遊びたくて仕方がなく引っ張りますが、まだ呼んでもちゃんと戻ってくるのかどうか不安なので紐を外す勇気がありません。何日かそういう感じで連れ出しているうちに、顔見知りも出来て来ました。キャンキャン鳴きながら石を投げてくれと、クルクル目が回りそうにせがみ倒してる茶色のコッカー・スパニエルを連れた初老の夫人が、
「まぁ、可愛い。どうして放してやらないの? 遊ばせてやりなさいな」と、誘ってくれました。これが最初のお友達“ハナ”でした。不安ですけど…、放してやるとベルは嬉しさのあまり転げるようにハナの処へ駈けていき、二匹は直ぐに遊びに夢中になりました。
「名前はなんていうの? うちの子は“ハナ”、日本語でお花なんですってね。ここに白黒のコッカーを連れてくる日本人の奥さんがいてね、前に教えてくれたのよ」と、このハナ夫人、なかなかおしゃべり好きのようです。ふ~ん、他にも日本人の人が来てるんだ、お会いするのが楽しみ。ハナは8ヶ月とベルよりちょっとお姉さんですが、体格的にはベルの方が既に大きくなっています。だんだんエスカレートしているらしく、くんずほぐれつやってましたが、突然ベルが「きゃい~ん!」とひと鳴き。慌てて振りかえると興奮したハナがベルを押さえ込んで噛みついています。
「大丈夫よ、遊んでるだけだから」なんてハナおばさん(ハナ夫人からハナおばさんに既に格下げ)は言いますが、ベルは組み敷かれてバタバタしてますし、おばさんはハナを叱る訳でもなく(自分のがやられてる訳ではないからね!) 、ボワッとしたまま。慌てて駈けよって二匹を引き剥がします。どうやらしつこく遊びたがるベルの体力に押され気味だったハナが、ブッチギレタみたい。
「まぁ、せっかく楽しそうに遊んでいたのに」なんて、おばさんどう言う神経よ。ま! 肩の所の毛が抜けて、500円玉禿げが! そしてこの500円玉禿げ、なかなか治らず心配の種になってしまいました。日本では幼児が初めて公園へ遊びに連れて行ってもらう事を“公園デビュー”と言うと、友人が教えてくれましたが、これがベルの強烈な“公園デビュー”でした。この後、ハナとはお友達になりはしましたが、ベルには歯が立たないのをこの日で思い知ったハナ、もうあまり積極的には遊びたがらないのでした。

 それにしても、ベル、ちゃんと声が出るんだね。と、変なところで安心? と言うのも、我が家にきて一言も鳴かず吠えず、この子は声が出ないのでは?と、心配していたのです。目が見え声が出て、後は耳かぁ。どうもそれが不安な。全く人間の赤ちゃんと同じ心配です。
dino.jpgそして夕方は今のところおしっこだけといった感じで、やはりフウが家の回りをぐるっと一回り。そして夕食、お休みなさいの前におしっことなる訳ですね。しかし問題はご飯を食べたがらない事。ベジェスに教わった通り、朝と昼は仔犬用の乾燥フード、夜は私が作る例の米、パスタ、野菜、鶏肉のご飯ですが、乾燥フードなんか手の平に乗せてどうにかやっと食べさせる感じで、食事の度にてこずってしまいます。困ったなぁ。でも本人はいたって元気。このまま様子を見ていればいいのかしら。とにかく明日はベジェス達が初めて我が家に食事に来る日です。聞いてみましょ、お師匠様に。

 あっという間にベルが来て一月が経ちました。私達の生活、いえ人生そのものが大きく変わろうとしていました。自分の犬と散歩するという事がこんなにも楽しい事だなんて、思っても見ませんでした。そしてまた、犬を散歩させるというのがどれほどの制約を私達に与えるのか、という事も。そして何より変わったのは、私達がベルに引きずられる様にして外へ、外へと窓を広げて行った事かも知れません。日本人同士の夫婦でありながら、もう既に日本の企業にも属さない(所謂赴任家庭ではない)私達は、日本人社会との付き合いは煩わしい事や、制約が多くほとんどそこからは隔絶した形でしたし、スペイン人との付き合いも割と表層的なものでした。むろん親しい友人や仕事仲間はいますが、家族ぐるみでの行き来となると、子供がいるかいないか、またその子供の性別年齢でかなり違ってきてしまいます。おまけに息子は幼稚園からイギリス系のインターナショナル校に行っており、そこは小学生の間までは日本人はほとんどおらず、仲の良い友人はイギリス人やアメリカ人、子供同士のお泊りなどの行き来はあってもなかなか家族ぐるみという訳にも行かないのが現状でした。私の仕事が観光ガイドという土日の関係のない不規則なものであるというのも大きな要因。週末に仕事が集中しやすいのが問題で、家族からは不平不満が出ますが、断ってばかりもいられませんし。

 ところが、ベルが来てからそんな我が家がどんどんと変わってきました。まず、ベジェス達。彼らの圧倒的とも言う友愛精神に気圧される感じで、私達はこのダルの世界に入り込む事になりました。彼らが私たちに寄せてくれた信頼に応えたい、彼らのようにちゃんとベルを育て上げたい、そんな気持ちが日増しに強くなるのでした。私達がどんな暮らしをしており、ベルがどんな環境で育っているのかを、ぜひ一度見てもらおう。また日本食を試した事がないと言う彼らに、一度試してもらおう、とご招待する事にしたのでした。なのに、ベルはお禿げが……。

 まぁ、仕方ないですね。さて、久しぶりに会うベジェスにベルは大興奮。彼らが発するママたちの懐かしい匂い…。興奮しやすいサルゥがベルを見て、
「ま、なんて可愛いの!」と、それって親馬鹿もいいところ? 大体においてスペイン人は自分の子供が「世界一可愛い!」と公言して憚らない人種であり、どんな可愛い子が出てくるのかと思うと青っ洟を垂らしてるクソガキ(失礼)だったりするのがほとんど。スペイン人はマザコンが多いと言われるのも尤もだと思うくらい、母親は子供に(特に息子に。これは万国共通?)とことん甘いのが普通です。スペインで最も大事とされているのが何だか分りますか? それはシンパチア(親愛の気持ち)とカリーニョ(暖かい気持ち、愛情)であり、これが欠けていては誰も助けてはくれないのです。

ちゃんと散歩をさせてるか、と聞かれてフウはいい返事をしています。ま、今のところはね。初めての日本食も難なく楽しんでくれ、ワイワイと盛り上がります。猫たちとの葛藤、食欲不振、心配な500円禿げの事、と話の種は尽きないのでした。
「相手も仔犬だったのかい? 変だなぁ、普通は仔犬相手にそこまでやりあわないんだけどなぁ」
「大丈夫よ、暫らくしたらまた生えてくるから」と、言われ一安心。
「うちのオチビもあんまり食べたがらないんだ。やっぱり手の平に乗せたりして苦労してるよ。でも今たくさん食べさせて6ヶ月までに大きくしないと、その後はもうあまり大きさは変わらないからね。体格はそれまでで決まるんだ」
「まぁ、大変」
「これを飲ませるといいわ」と、サルゥがメモってくれたのは、人間用の食欲増進剤だそうで、ベジェスのところも飲ませているとか。
「食事の前に二週間ほど続けるといいわよ。直ぐにたくさん食べるようになるから」

 う~ん、裏技とも言うべきプロのテクニックがあったのですね。早速試してみましょう。食後、近くでやっているサン・クガットの見本市を見に行く事にします。実はペパの所もスタンドを出しており、知らなかったのですがベジェス兄弟が働いているのはドイツの医療器具輸入会社で、ペパのクリニックも機材を購入しているそうなので、挨拶がてらぶらぶら食後の散歩に行くと、中にはペットショップもブースを開いていて、仔犬や仔猫がいてこれが大人気。アデの処で生まれたペルシャの仔猫二匹もここで買い手が付いたのだそう。
「アデはカタラーナだからなぁ」とみんなで納得。カタラーナには支配的、という意味の他に金銭的にしっかりしている、という意味があります。支配的で財布の紐をがっちり握っている、って事ですね。ぐるりと回ってペパの所へ行くと、ベルはここでもモテモテ。既にさっきから「ダルマタだ!」「ポンゴだ!」と、出会う子供たちに騒がれてフウは恥ずかし嬉し状態だったのです。

 ペパがそこにいた若い男性を紹介してくれました。自宅に来てくれる犬の調教師だそうです。初めて飼う犬だから頼んでみるといいわよ、とサルゥ。散歩中に右に行ったり左に行ったりしない様にさせるのが躾の一歩、と言われます。それには納得ですが、まだこんなでは小さ過ぎるからと連絡先だけ貰います。犬の調教って、何だか怖いイメージがあるのですが…。ぶらぶら散歩を続ける事にして、ベルの何時ものお散歩コースを案内。パセオ・ガウディの広場に犬がたくさん集まって遊んでいると話すと、
「社交的に育つから、小さい頃から色んな犬と接触するのはとてもいい事だよ。ダルは元々とても社交性があるからね」と、ビセンス。緑の草叢に立つベルを見て、サルゥがマニュエルを突つきながら、
「見て、なんて綺麗なの!」と、惚れ惚れしたような歓声を上げてくれ、私たちも何だか嬉しくなってしまいます。

belles.jpgさて、彼らの車が止めてある通りに出た途端、向こうに歩いて行くダルを発見! 仔犬らしく飼い主のおじさんにピョンピョンとじゃれながら飛び跳ねるように歩いています。
「随分小さいわね、どんな子かしら」と、早速好奇心旺盛で物怖じしないサルゥが走って行って、初対面のこのダルおじさんに質問攻め。あきれた奴、と言う顔でビセンスがぶつぶつ。息せき切って戻ってきたサルゥ、
「三ヶ月だって。ベルと同じね。でもすごく小さくて、スポットも流れてるし。全然ね」と、報告します。そう、遠目で見てもスポットが多い、黒が勝っているのは判りました。
「ペットショップで買った犬だよ、どうせ。本当にいい犬はそんなとこでは手に入らないんだ」
「この直ぐ近くにうちのダルを持っていた人たちがいるんだ。一人はベルのいとこかハトコくらいを今も持ってて」
「エレナって言うのよ。三才だったかしら」
「そう、エレナ。それでもう一人の方は、ほら、うちから行った子が天寿を全うして、どうしてもすぐにダルが欲しい、ダルのいない生活には耐えられないって言うんで、僕がフランスの友人に問い合わせをしてあっちから買ったんだけどさ、彼らがこの間仔犬たちを見に来たんだよ。ベルを見て、やっぱりフランスから買ったのと全然違う、あっちのはかなり小さいしスポットの出も良くない、って言ってたよ」
「当然よ。ベルは一番可愛いもの。見てよ、マニュエル。ホントに綺麗な子だわ」
 実にスペイン的に親馬鹿が山のように集まった感じで、ベルはもう猫可愛がりもいいところ。褒めてもらってるって事は分るんでしょうね、嬉しそうです。またの再会を期して、ベジェスたちとは車のところでお別れ。あぁ、良くおしゃべりした1日でした。

ページトップへ