22匹目  ダル・クラブへの遠い道のり


「やっと家の改築が終わったらしいのよ、それで犬友でメリエンダしましょうって」と、連絡係のモンセから電話がありました。隣村のバジャドレッチに一軒家を買って引っ越したエバとパンタから、パーティのお誘い。この「メリエンダ」というのは「おやつ」という意味合いで、正式な食事のパーティではなく、おつまみとドリンクでワイワイ気軽にやりましょ、というおしゃべり会のようなもの。子供たちのお誕生日パーティなどもこの類ですね。時間帯も大体夕方の6時辺りから。(夕食の誘いは9時前後)

gato.jpg暖房のない森の一軒家でひと冬を苦しんだエバたち、やっとセントラルヒーティングも完備し、改築も終えたというお家は、家中にエバ好みの、ちょっとボヘミアンな小物が溢れるように置かれ、さぞ掃除が面倒くさそう、と掃除が苦手な私は他人の家だからと、その少女趣味にしばしうっとり。とても自分の家ではデキマセン。サロンを拡張する為に玄関を通りの反対側、庭の方に移し、アールデコ風なガラスと鋳物の雨除けが加えられていて、なかなか素敵。庭は一面緑の芝生、3匹の犬たちは玄関脇の所に囲いが作られていて普段はそこにいるそうですが、庭は見事に穴だらけ・・・。
「そうなの。しかもね、ルアーのヒートの時、柵の所から穴を掘ってオスが入って来てね、ターイヘンだったの。なんか様子がおかしいから獣医に連れて行ったら、妊娠してて。可哀想だけど処分して、ついでに避妊手術もしてもらったのよ」
「この辺りの家の犬は、みんな放してるんだ。森の家って意外と散歩させにくいんだよ」
「そういえば、お隣にダルがいるのよ、オスの。フランス人が飼ってるわ。うちの子達とすっごく仲が悪いの。顔を見るとは吠え合っちゃって」
「オスと? 変ねぇ」
 集まったのはいつもの顔ぶれ、モンセにアニータ、ラウラとクリスチャン、ルイス、そして懐かしいチャーチルのペラおじさんと奥さん。未だにチャーチルを薬殺せざるを得なかったという痛みが残っていて、犬は飼えないそう。
「ま、お陰でのんびりやってはいるよ。時々、夕方にフウが自転車でベルを出してるのを見かけると、懐かしくてね」
「凄いスピードで、『オラッ!』って言う間もないくらいよね」と、モンセ。そうです、夕方にフウとベルが自転車で走る姿は結構有名で、意外に大勢の人の注目を浴びているようなのです。ベジェス達の為に走る広告塔の役目もしたし。
「そろそろ、ベルも子供を産ませるの? 一匹、残すんでしょ?」
「うん、その積りなの」
「もう一匹欲しいなんて、言うんじゃないの、エバ?」と、モンセがニヤニヤ。ウフフン、と含み笑いのエバに、ビックリしたパンタがすかさず、
「と、とんでもない! そんな事になったら、一体どこに寝ればいいんだ?」
「あはは、パンタのあわてぶりったら!」
「彼を追い出すには、もう一匹犬を飼えば十分ね」と、茶目っ気たっぷりにエバが合いの手を入れ、みんなで大笑い。

 さて、9月に入ってもベルのセロはなかなか始まりません。15日からは新学期が始まってしまうので、最後の連休に海に行こうかとお友達の別荘を借りる事にしました。ロサスというあの辺りでは珍しく大きな砂浜が広がっている町の近くの村にある別荘です。その村のすぐ横がサルゥの生まれた村。かつては一面ブドウ畑とオリーブ畑だったそうですが、恐らくは生産調整の為か面変わりしています。でも村の入り口にはこの辺りの協同組合があって、ここで生産しているバージンオリーブ・オイルやワインを直売しています。オリーブオイルを試しに5リットル買いましたが、レリダ産と比べるとややコクに欠ける感じがします。色も緑よりはもう少し黄色い。オリーブ畑は道沿いに続いており、可能な限り太陽を浴びる為に樹々は真中が切られて、丸く枝を輪のように広げる形に仕立てられています。風に靡くと葉が裏返って銀灰色の小さな細波が立ちます。樹の根元には黄色い名もない花が咲き乱れ、こういうカンポ(野原)の風景が何とも言えない。
 ロサスはギリシャ語の「ロータス」からきているといわれ、ギリシャ人やフェニキア人によって開かれ、そしてローマ人によって拡大された港町です。ここら一体は風が強いことで有名で、トラモンタナと呼ばれる北西風が吹き荒れますが、これに流されて辿り着いたのがこのロサス、「コスタ・ブラバ(荒々しい海岸)」という名の通りせり出したリアス式の海岸線が続く中、広い砂浜を持つロサスが避難港としての役割を果たし栄えた訳です。夏はドイツ人がとても多いようですが、私たちは磯遊びが好きなのでいつも別荘のある村から車で山を越え、カダケス辺りに足を伸ばす事にしています。素晴らしい青空。カダケスへの峠越えは厳しいけど、この所ベルも何とか車には慣れてきたようです。不思議なのは後ろ座席にフウがおらず自分だけの場合は、真中に座って結構右に左にとバランスを取っているのに、フウが横にいるとなると途端にお嬢様座りをして、全面的に寄り掛かってしまうのです。相変わらずカーブ毎にエルボードロップを食らって悲鳴を上げつつ、嬉しくて仲の良い我が家の子供たち。


francia.jpg以前はカダケスに着くとダリの別荘、通称卵の家、のあるポート・リガッに行き、そこから元ヒッピーのジョアンがやっている渡し舟に乗って、目と鼻の先にある無人島、俗称「イスラ・デ・イッピー(ヒッピー島)」に渡ったものでしたが、今日はベルが船に乗るかどうか不安だし、ここは水が冷たいので泳ぎ切れるかどうかも疑問なので、もう少し先の方まで足を伸ばす事にします。前にゴッスを連れて来た時は(思えばゴッスって私達といろんな処に行ってるのね)、毛の長い彼は暑がりなので泳ぐのが大好きでフウと一緒に泳いで渡ったのですが、毛の短い寒がりなベルはきっと嫌がるに違いありません。私も水の中に入るのは年々少なくなりましたけど。だってすごく透明で美しいけど、あっという間に体の芯が凍えそうな程に冷たいのです。しかも岩場は岩盤が切り立っていて足を滑らせると切ってしまいそうだし、パラソルを立てる砂場がないのでひたすらジリジリと焼かれ、これはこれでベルは苦手のようです。仕方ないので2日目はもう少し砂場もある磯場に移動。砂浜の昼間は犬の立ち入りが禁止されているので、犬連れは似通った所に集まるものらしく、他の犬の様子も見なくてはならず、またあちこちでお弁当を広げるので、いやしん坊がふらつきはしないかと、こちらにも神経質になってしまいます。どうせお昼で引き上げるのだし、最後の日はベルはお留守番と決めて散々遊んで帰ってくると、テレビから流れてくる映像は何処のチャンネルをかけても同じ、高層ビルから煙が出ているのでした。
「映画?」にしか見えないその映像の中に、飛行機が大きく旋回し激突。9月11日。ニューヨークのテロでした。
「マノロは大丈夫かしら?」 犬友のマノロがちょうど今、個展の為にニューヨークに行っており、オープニングも間近で準備に追われている筈。きっとマリッサは気が狂ったように心配している事でしょう。CNNでの生の映像を見ながら、「第三次世界大戦の突入になるのかな」と言う夫。頭の中に思い浮かんだのはちょうど10年前の湾岸戦争。アメリカって過去から学ぶって事を知らないんでしょうか・・・。

 それにしても「オンゼ・デ・セプテンブレ」とは。カタラン語で9月11日をこう呼ぶのです。日にちがひとつの意味になっている、記念碑そのものになっているのは、スペイン語の「ドス・デ・マヨ(5月2日)」と、このカタラン語の「オンゼ・デ・セプテンブレ(9月11日)」くらいでしょうか。5月2日は1803年ナポレオンの侵略に対しマドリッド市民が反仏で蜂起した日(ゴヤの絵で有名)、そして9月11日は1714年、スペイン王位継承権戦争によってハプスブルグ家のカール大公を推したカタルーニャが、ブルボン家のフェリーペ5世に破れ、自治権を失った屈辱の日。それぞれが鎮圧された側の屈辱を忘れぬ為の記念日となっているのですが、カタルーニャでは9月11日は「ディアダ」と呼ばれ、カタラン魂を継承すべく、過去の屈辱を糧にカタルーニャの自治力を高めようという意味合いの強い日。選りによってその日にテロとは・・・。
 スペインに住んでいると「テロ」という言葉を嫌が上にも耳にします。いえ、ヨーロッパに住んでいると、と置き換えてもいいかも知れません。宗教と民族自治、これが常にテロの大きな要因になっています。地域的規模であれば「テロ」といわれ、国家的規模になれば「戦争」と呼び名が変わるだけなのかも知れませんが、スペインには「ETA」と呼ばれる非合法グループが、バスク地方の独立を謳い文句に同胞を殺し続けています。バスクはスペイン語だと「パイス・バスコ」、バスク国と呼ばれていますが、スペインという国の中のひとつの地方に過ぎず、「国家」ではありません。バスク語では「EVSKADI(エウスカディ)」と呼ばれます。バスクもカタルーニャもその経済力と独自の言語からなる文化の特異性とで、自分たちをスペイン人とは名乗らず、バスク人、カタラン人と名乗ることに誇りを持っています。中世からスペインを統一しようという動きは何度も何度も繰り返され、やがてフランコ時代に至って漸く武力による全面的鎮圧が成し遂げられた感じがするのですが、その鎮圧下でも燻り続けた民族意識が、カタルーニャではより外へと向かいグローバル化されて行ったのに比べ、バスクでは内へ内へと更なる分離主義へと向かって行った様に思います。スペインでカタラン人といえば「ケチな民族」のイメージ、商売人のイメージが強いのですが、バスク人がもたらすイメージは「頑固」そのもの。妥協せず協調性がないバスク人と、商業的で利に敏いカタラン人では、独立の意味合い自体根本的に異なってくるのは当然なのかも知れません。
 ナショナリズム急進派ETA(祖国バスクと自由)によるテロ活動は、一般市民をも巻き込み今も続いています。1987年に起きたバルセロナの大型スーパーマーケットでの爆弾テロは無差別殺人以外の何物でもなく、この被害者の中に妊婦がいた事からETAへの非難は高まり、ついに最後の砦とも言えたフランス政府がETAを非合法政治集団と見なした為、彼らの活動はますますエスカレートする一方で、このテロ行為の繰り返しの何処に祖国の自由が存在し得るのか、私には全く解りません。かつてフランコ時代、身内の中にフランコ派と共和国派が存在したという暗く重い過去を持つカタルーニャが、中央との協調による自治権の拡大を求めて行ったのと、あくまでも民族主義を貫こうとしたバスクの違いは大きく、バスクの中では既に異端児でもあるETAが消滅しえないのは、彼らバスク人自身が容認してしまっているからでもあり、容認せざるを得ない血の濃さがある様world.jpgに思うのです。バスクの一般市民はもうETAはいらない、と思っているけれど、他の地方の者がこの問題に触れる事には拒絶的です。ですからスペイン全体の問題としては中々発展しない、扱いにくいのが実情で、ETAによるテロ行為というのはまだまだ続くでしょう。思想も宗教も関係ない、やがては破壊行為だけに惹かれる若者たちの温床になっていく可能性だってあるのです。祖国の自由を謳いながら祖国の人心から離れ、支持を失った事から益々過激化するETA。そして工業化で経済発展を遂げつつも、社会不安の為に自由で開放された先進地域とはなりえないバスク。バスクへ旅行する時、フランスナンバーの車は爆破に使われる可能性がある、とよく言われます。ETAを非合法とした仕返し。そしてバルセロナナンバーならまだ安心、とも。
 主人の言う第三次世界大戦という言葉が重みを持って感じられる中、「戦争が始まったらもう楽しめないから、ゴーカートしておこう!」という息子の言葉に、何ともいえない現実を感じつつ、この年の夏が終わりました。

 家に帰った夜、早速マリッサに電話すると、マノロの無事は確認できたとの事。
「部屋で原稿書きしてたらね、マドリッドの姉から電話があって、ニュースを見たかって聞くから、見てないわって答えたら、直ぐに見なさい、ニューヨークが大変な事になってるわよ、って。マノロに電話してもちっとも繋がらないし、もう不安で不安で。やっと彼から電話があって、無事だからって。生きた心地がしなかったわ」
 まぁ、とにかく良かった。個展は無事に開催は出来ましたが、残念ながらあの騒動では、足を運ぶにも中々大変だったようで客の入りはイマイチだった様です。でも、またやれるじゃない、命さえあれば! 

そのマノロが帰ってくる頃、ちょうどマリッサがマドリッドでの講義の為2泊3日で出張。学校が始まったばかりのエネコが前から約束通りお泊りに来ます。身近に預ける親戚がないから、一度自分のナバラの実家へ連れて帰ってまた引き取りに行くというマリッサに、「学校もあるんだしうちに越させなさいよ」と誘ったのでした。エネコは日本食は何でも食べるし、好き嫌いで凝り固まっているフウの他のお友達と違って問題はないのでした。マリッサが出かけた日の夕方、家で宿題とトビーの散歩を済ませてきたエネコがやってきました。本当に日本食なら何でも食べる彼に今日は好物のお寿司。フウと二人で競い合っての、まぁ見事な食いっぷり。思わず「ほほぅ」と感嘆と呆れ気味の混じったような声が漏れてしまいます。
 明けて3日目。マドリッドから帰ってきたばかりのマリッサと一緒に、その夜に帰って来るマノロを主人が車で迎えに行きます。まんまと彼らの車は故障して修理屋に行ったままなのでした。無事に帰ってきたマノロに拠ると、
「向うの方がニュースが見れなくて情報が足りなかったよ。こっちに電話して教えてもらった情報の方が早いんだ。しかし、あの前と後とでは、ニューヨーカーの態度が変わったね。前は随分よそよそしかったけど、あの後からは生き延びた者同士の連帯感みたいなものが出来て、皆ながとても優しくなったんだ」と、マンハッタンの友人のアパートに滞在していたマノロにとっても、テロは思いがけない人と人の絆を垣間見せてくれたようです。

さて、やっとベルのセロが始まり、今回は予定よりひと月も送れてしまいました。ベジェスの所にお預けしていた為、他にセロのメスがいた為に調整機能が働いたのだと言うのです。つまり、種の保存の原理ですね。自分の妊娠の確立を高める為に、他のメスとずらす様にするのだ、とビセンスが説明してくれました。成る程。しかし8月の22日に産まれたばかりのシニアの赤ちゃんを見に行けなくなってしまいました。セロ中のベルを連れてオスが2匹もいるベジェスの処にはお邪魔できないし、とビセンスに連絡すると「始まったばかりなら問題はないよ」と言われ、ではとお邪魔する事に。どのくらい生まれるかしら、エコグラフィでは2匹しか映っておらずそんなわけはないと、皆なでやいやい言っていたシニアのお産でしたが、何と本当に2匹しか生まれず、「エ?」  ダルは多産のイメージでしたが、マイクの所のローレンも、エコグラフィ通り1匹しか産まれなかったそうで、アララという感じ。チビダルはいつ見ても本当に可愛い。2匹ともメスで、割にスポットが多いようです。1匹はおでこにスポットがあって、さすがリブラ・カサノバの血を引いてる。
「待ってる人がたくさんいるんだけどね、たった2匹だったから」と、ビセンス。まだ貰い手の決定はしていないようです。 このおチビたちは、1匹はフランスのダル友の所に行き、もう1匹は結局ベジェスの手元に残りました。それがジョイア、やがてリブラーカサノバの傑作と呼ばれる美しいダルへと成長する事に。

9月はモニストールやイグアラダという小さな大会が続くのですが、チャンピオンになったベルにはもう必要ないし、セロでもあるしパスせざるを得ません。11月のベルギー大会にはブラッドとイダを連れて行く、と張り切っています。ベルも来ないかと誘われましたが、今年はいけるかどうか。主人の仕事が忙しくなったのと、あんなハードな旅はもう出来そうにないし・・・。でも誰かの車に便乗して行けるのなら、私だけでも行こうかなと思ったりはしたのですが、今回はさすがにビビたちもマリアたちもパスするようで、諦めざるを得ないようなのでした。来年が楽しみと言われたモーガン氏にも会いたかったのですが。
「イグアラダにはビビも来るのよ。マリアもね」と、どうやらイダ、イネ、キティの姉妹対決のようです。ちょうど15ヶ月を過ぎ、オープンクラスにデビューするのです。これからが本番開始。ベルの後に続く「リブラ・カサノバ」のチャンピオン候補者たちです。
「ホント、ちょうどベルがチャンピオンクラスに移ったから良かったわ」
「CACの取り合いは姉妹でってわけね。イネはサルゥが出すの?」
「多分ね。マリアは出したがらないから」
「ところで、みんなのサインは集まった?」と、私はサルゥにこっそり聞きました。ビセンスとマニュエルはどうもこういう機動力に欠けるのです。
「ううん。みんなが仔犬を見に来たからいいチャンスなのに。ビセンスったら自分がやるからって言っては、何にもしないのよ。私にやらしてくれれば気軽に何でも頼めるのに」と、怒っています。やっぱりね。ビセンスは主導権を渡したくはないし、気軽に物を頼むには衒いがあるし、とぜんぜん埒が行っていないのでした。マニュエルは何か揉め事があったら最終的にはビセンス寄りなので、物事を動かす際には当てには出来ない、というのがこの所解ってきた私は、これはサルゥを動かすしかない、と決意。早速サルゥをソソノカス事にします。
jonier.jpg「サルゥ、あなたがやらなきゃだめよ。分ってるでしょ、ビセンスだと時間ばかり掛かっちゃうわよ。いい、白い紙にサインと氏名、IDカードの番号を其々書いてもらうの。紙は上半分だけを使ってね、下は空けておく様にって事だから。それからサン・クガット周辺の人は私が連絡を取って会うから、住所と電話番号をちょうだい。出来るだけたくさん集めるのよ」
「分ったわ。任せて。今度の大会で集められるし」
「それとカステジョンの人たちとも連絡取れる? 説明して郵便で私宛に送ってもらって」
「分ったわ」と、サルゥは指令を受けて満足そうです。最後に駄目押し。
「いい? ビセンスに任せておいたら何時までたっても集まらないわ、いちいち言うこと聞いてちゃ駄目よ。あなたがやるのよ」
 まぁ、何とかこれでうまく行くかな。一抹の不安は残るものの、サルゥの機動力は認めざるを得ないものがあるので、それで押して貰うことにします。早く早くと急かして住所録から私がもう直接書き写します。自分でやった方がとにかく早い。何とかここまで整えてきたのに、最後の1歩を彼らの時間の観念「アスタ・マニャーナ」何かでやられたら、堪ったものではありません。動かない奴は押して動かすしかない、何事もクラブの為だっ!

 翌週から早速サルゥに貰ったリストの人たちに連絡、それぞれ落ち合ってサインをもらう事にします。サン・クガットにいるダル友、クゥニー、オナ、エレナは無論の事、それから周辺区にはベルの異父兄弟にあたるダルが2匹、そして中南米人の建築家が2人、やはり「リブラ・カサノバ」のダルを持っています。そのうちの一人、ペカスの持ち主ルイスはクラブ結成を自分から言い出した事もある推進派なので、協力が期待できます。前回バルセロナ大会では遅刻の為に参加できず顰蹙を買った彼らですが、一度好成績を修めた事もあるので、今後もエキスポジションに出す気力(正しくこれが大事なのです)が残っているかも知れません。何とか連絡が付き、署名をもらい協力を要請すると、「ホームページを作る手助けが出来る」との事。願ってもない事です。
「もう大会には出さないの?」
「また出したいとは思ってるんだけど、娘たちの都合もあってね。それに、いつあるかとか、サルゥが知らせてくれないと全く判らないから」
「あら、今度イグアラダであるわよ。メールで教えてあげるわ。ペカスの毛の状態はどう? もう良くなった?」
「え、どういう事?」
「だってバルセロナのとき茶色いシミが出てたじゃない」
「いや。今までそんな問題なんかなかったよ、一度も」と、ケロリとして言うので、私はハテナ? 忘れているのか、それとも気に掛けていないのか。気が付かない程に気に掛けていないとすると、ペカスの今後はあまり望めません。もっとも大事なジュニア期から成犬への過程で手を掛けてもらえない仔は、犬質が落ちてしまうのは致し方のないことです。残念な。でも彼らがペットとして満足しているのなら、それはそれでいいのですから私がとやかく言う事ではありません。

時間の合間を縫って署名集めに奔走している私を、憮然たる面持ちで眺めている夫。「ボランティアに走る暇があったらもっと自分の事をしたら?」と言いたくて口元がむずむずしている感じ。フウはさすがにダル・クラブ立ち上げはダル全体は言うまでもなく、ベルの為にもなるし、ひいてはベルの子供の為にもなると踏んで、結構協力的。そんな中、カタルーニャ・ケンネルクラブに問い合わせると、無事に我が家のアフィッホ(血統書名)が出た、との知らせ。その名も「BOSQUE DE SANT CUGAT」、つまり“サン・クガットの森”と言う名前です。森の中を自由に駆け巡るベルを始祖とする血統書名。これが受諾された日にち以降に生まれた子供には、 このアフィッホを付ける事が出来るので、係りの人はちゃんと何日付で出たかを教えてくれます。国際ケンネル・クラブに認証された「血統書証」が送られてきて、この件はこれにて無事終了。少しずつ体制は整ってきました。

さてイグアラダの大会が終わった後、結果を聞く為に連絡すると、ブラッドと今回はイダが勝ったとの事。
「ペカスも出たの? クラブの署名の為に会った時、また出したいって言ってたから申込書を送ってあげたんだけど。毛の状態は良くなったのか、って聞いたら、今まで一度もそんな問題はなかった、ですって」
「よく言うわよ! あんなひどい状態だったくせに。それに彼は口だけだから。いい事をいっぱい言うけど、実際は何にもしないのよ。クラブの事だって自分が中心になってやるような事を言ってたけど、全然だもの。口先だけだから信用してないのよ私たち」と、サルゥはぷんぷん。あぁ、やっぱりね。 その後、ペカス夫妻は離婚してしまい、犬には興味のない夫人が子供たちのたっての願いで引き取りはしたものの、放任もいいところらしく度々の脱走劇を繰り広げ、ひょんな事から私が保護する事に。その時は毛質は汚れ放題の状態で、私が保護して連れて行った獣医から、これが何度目かの保護だと言う話を聞いたベジェス達は、可哀想だから引き取りたいと申し出たのですが、子供たちに引きずられて夫人も承諾せず、そのままになっています。サルゥの姉の元に行ったイネも、あんなにも大騒ぎしていたのに、その後は生活に終われて放ったらかしもいいところ。なんだかそれぞれの犬生なのでした・・・。

 肝心のサインの事はと聞くと、無事に20数名分を集めたとの事。カステジョン等からも手紙で何通か届き私の方にも同じ位が集まったので、10月に入って直ぐにバルセロナにある司法省に提出に行く事にしました。前回必要書類の説明を受けに行った際にサルゥと同行するのに懲りた私は、とにかく一人で動いた方が早い、揉めないという事を完全理解したので、今回は一人で提出に赴きます。しかもサルゥは現在ビセンスとマニュエルと同じ職場でアルバイトをしており、時間がないというのも好都合。彼らの事務所に立ち寄り集めた署名を貰い、そのまま司法省に直行です。ところがやはり落とし穴が・・・。
 あれだけ白い紙の半分は空けておくようにと説明したにもかかわらず、1枚の紙に上から下まで、おまけにご丁寧に裏にまで署名をしてもらっているではありませんか…。呆れ果てる私を気の毒げに、だからサルゥなんかに任せちゃいかんのだ、と言いたげなビセンス。だって、あんたが何にもせんからでしょうが、と思わずキレそうになるのでしたが、仕方ない、こいつらはこういう奴らだったとスペイン的に諦める私。なんと寛容・・・、とほほ。
「だって、紙が1枚しかなかったんだもの」のサルゥに、
「なかったのなら言いなさいよ」と、さすがにキレましたが。まぁ、サルゥとしては上出来か、とにかく集めてくれはしたんだものね。だが、ここで彼らがいかに司法観念がないかが判って、さらにゲンナリ。
「ここで書き直せばいいさ。サインなんかいくらだって真似できるし」
「あ、そうよね。マリアのサインなんか、私すぐ真似できるわ」
 まさか、ひとつ二つならまだしも、20人程ものサインをどう誤魔化すの。さらにそれでもいいという感覚がちょっと怖い。
macia.jpg「だめよ。そんな不法な事できないわ」
「君たちは僕たちより厳格だからなぁ」とビセンスが言うのを、(当たり前じゃ!) と、腹の中でブーしつつ、
「クラブの為に不正はしたくないの。もし何かあった時、もう2度と受け付けてもらえなくなるかも知れないもの」
「そうだなぁ」と、言う彼らの言葉も何だか(そうかなぁ)にしか聞こえないのでした。とにかく彼らはいいかも知れませんが、クラブの責任者として署名をしている私は不正には同意できません。不正で得るものより失うものの方が多いからです。
「とにかく駄目もとで出してみるわ。何人以上と書いてあるわけじゃないしね」と、もうこれ以上無駄な時間は潰したくないので、相応に切り上げて司法省に向かいます。あぁ、疲れた…。
 何とか提出を済ませ、どのくらい掛かりますかと聞くと2、3ヶ月くらい、との事。通知が届くというので、うまく行けば年内に何か判るかも知れません。とりあえず出せた事だけでも、奇跡?

 しかし書類手続きの煩わしさたるや恐るべきもので、スペイン人ですら「何でこんなに必要なのか解らない」とぼやく程なのですが、それにしても9月に提出したこの書類に関して、12月に入っても法務省からは何も言ってこず、2,3ヶ月位で何らかの動きがあるだろうと思っていた私は、ちょっとヤキモキ。年末にビセンスに尋ねると、
「はっ! ここはスペインだよ、ケイコ。まーだまーだ掛かるよ、心配ないって」と、如何にもなお答え。まぁね、そうよね、スペインだもんね、としばらくは気持ちをなだめては見たものの、やはり不安。もう1月も半ばなのに・・・。あぁ、私ってせっかちなのかしらん。えぇい、と思い切って法務省に問い合わせに行くと、
「あら、11月に通知を出しましたよ、見ていないの?」
「誰宛でしょう? ベジェス? いいえ、何も聞いていませんけど」
「まぁ、無責任ねぇ、その人。ほら、ここに発送した日付が入っているでしょう?」と心細げな私を気遣ってか、担当の女性が親切にも書類を確認させてくれました。ほんと、11月16日と明記されています。
「ここに、スペイン・ケンネルクラブ協賛、って書いてあるけど、その承認証がいるわね。それを取るのに時間が掛かるなら、今のところは削除しておいた方が簡単よ。それとね、これはカタルーニャだけなの? それともスペイン全国?全国の場合は条例番号が違うの。エーっと、待ってね、コピーをとって見本を書いてあげるわね。その2点を修正して、もう一度提出なさい」と、とても親身に対応して頂いたお陰で、流れが止まっていた原因も解り、修正方法も解り、まずは一安心。しかし、それにしても通知が来ていたのにとは一体どういう事? プンプン状態でビセンスに電話すると、
「通知なんてぜーんぜん届いていないよ」と、役所は如何にいい加減かをあげつらうばかり。あぁ、頭が痛い・・・。
 とにかく修正したものを再提出し、以後の通知は私宛に変更しておくことに。この予防策が効を発して、マドリッドの内務省からスペイン全国のクラブ申請の為にカタラン語での申請はまかりならぬ、と言う通告が来て、考えてみれば当然なのですが、カタルーニャの窓口ではカタラン語による申請書しかないと言う、なんともカタラン的やり方で、
「また、何を馬鹿なこと言うんだ、マドリッドは! カタラン語でだって理解できてるに決まってるのに、意地の悪い奴らだ!」と、カタラン的反応で熱くなるベジェスたち。スペイン語の翻訳文書を添付しなおすと言うまどろこしさ。この再提出でまたまた時間を取られました。

bebes.jpg そして・・・、とうとう許可された旨の通知が届きました。書類を受け取りに再び法務省へ。ここまでで既に8ヶ月が経過しています。法務省から受け取った認可書類があれば、法人としての銀行口座を開くことが出来る筈です。会員からの会費を個人の口座に入れた場合、個人収入が増え税率が変わりかねないし、まさか公的なお金を家に抱えている訳にも行きません。会員募集の際には振込先を明記しておかなくてはいけないし、急がねばと銀行へ意気揚々と駆けつけると、口座開設のためにはまず税務署での手続きが必要との事。つまり税務署で上場手続き(?)をしないと、まだ眠り続けている状態に過ぎないらしいのです。なんと複雑な~、まるで会社設立と同じ行程をクラブも踏まなくて行けないとは。仕事の合間を縫って、はたまた不満そうな顔色をちょっと伺いつつ、近くの税務署へまず話を聞きに行きます。こういう事は1回で済むと思わないのが、身の為。必要な手続きの説明を受け、取り合えず申請書を購入して帰ります。ベジェスには一応電話で経過を説明。向こうでも「え~っ、面倒な!」と騒いでいるのが手に取るように。
 数日後、時間の隙間を縫って再度税務署へ申請に行きます。結局こういう煩雑な事務手続きで物事は成り立っているんだなぁ、と実感。無事に申請手続きを終え、次は銀行手続きです。銀行へ行くとまたもや書類が待ち構えており、役員三役の署名と身分証明書のコピーが必要との説明。三役の署名、身分証明書のコピーを 整えて、どうにかクラブの口座開設完了。「Club Español del Dálmata」の通帳を貰って、何と言うこともなく溜息。じっと手を見る、の心境。

 クラブとしての口座が開けたので、早速クラブ設立のお知らせと入会案内をダル仲間に送ります。ショウのカタログを引っ張り出して、出陳者へ片っ端からダイレクトメールです。申込書が届き次第、クラブ規定、会員規定、スタンダード説明のワンセットを送り、徐々にではありますがクラブは動き出してきました。そろそろ創刊号となる会報の準備もしなくてはなりません。そしてスペイン・ケンネルクラブへの公認依頼。スペインは各犬種に公認クラブはひとつしか存在できません。申請には何が必要かを問い合わせると、直ぐに親切な返事が着て「とにかくこの手の申請は許可までに時間が掛かるので、早急に手続きなさるがよろしい」との事。大急ぎで書類を調え、いつもながら手の遅いビセンスのお尻を叩きまくって挨拶状を書かせます。公認を得た次は、FCIへの認可要請、そして念願のクラブ大会・・・。道のりは遠い。

 この間、私たちはフランスでの大会に参加、憎きブバとの最終決戦、ベルの調教クラス(イギリス人調教師ケン先生との出会いもまた、私にとって大きな意味を持つものでした。この調教クラスでのエピソードは別な項を設けたいと思っています)、フランスのクラブ大会参加、ワールド大会参加、ベジェス家の廃屋探しから引越しなどなど、様々な事がありました。特にフランスの大会に参加したことは私たちにとって、更なる広がりを見せてくれました。ベルがBOBを獲得し、グループ戦に残った時の喜びはひとしおでしたし、その時はフランスではダルはまだグループ9に属していた為、お立ち台に乗せてプレゼするようなコンパニオンと呼ばれる小型犬種ばかりの中で、唯一ベルと私が立っており、まるで小人の国に迷い込んだガリバーの趣。審査員も3人で、それぞれの評価点がランプで段階的に表示され、その総合点で表させるという未だかつてない経験でした。フランスのクラブは実にしっかりしており、地方大会でも支部長がクラブのカップを用意しており、1位から3位までカップが貰えるのでした。また、持ち寄りの軽食を振舞い合う和気藹々とした雰囲気が、イギリスのクラブ大会とはまた違い南フランスゆえか、やはりラテン的なのでしょうか、本当にショウを楽しむ、仲間と共に愉しむ、そんな感じがして素敵なのです。


kim.jpgフランスのクラブ大会は例年100匹を超えるダルが参加し、非常に活気があります。午前はオス、昼食をはさんで 午後にメスの審査が行われますが、昼食はクラブの方で用意されており、参加する人は1000円程度の食事券を買うシステム。バゲットのサンドイッチ、キッシュ、各種おつまみ、ワインやジュース類が山のように用意されており、こういうクラブの活動って本当に素晴らしいと思います。また出陳者たちもほとんどがブリーダー・ハンドラーであり、オーナー・ハンドラーです。基本的に自分のダルは自分でプレゼするのが本来の姿であり、賞を獲るためにプロのハンドラーに頼るのはブリーダー の本道ではない、という考えが根本にあるように思います。犬だけが訓練されるのではなく、共に訓練を愉しむという姿勢、勝ち負けだけにこだわらず良い犬種を残すために皆で力を合わせるという姿勢、少なくともそう 努めることがブリーダーのあるべき姿である、という認識がされていると思います。お腹の中はどうあれ、波風を立てないだけの大人の分別がある、と言うか・・・。それを支えるクラブの重要さを改めて感じ、う~ん、我がクラブも頑張らなくては!!

 クラブ大会では審査員は1匹ずつの評価を全て述べ、それをクラブの係が書き取って(同時にテープ録音もしている)審査後に各ハンドラーに渡してくれます。この評価はクラブの会報にも表記されます。クラブ大会はとても重要な意味を持ち、その国のダルの系統を決めかねません。オランダやベルギーなどイギリス系を目指すクラブはイギリスのA 級審査員を招聘しますし、フランスは長い間自国の好みを第一としていたため、フランス人の審査員しか立てなかったと言う歴史があります。近年これに異を唱える人たちが増え、私が参加した時の審査員はイギリスの有名なブリーダーでした。当然出陳者にも好みの差が出ます。身体の出来具合を重視しているか、スポットなどの美的好みを重視しているか、審査員に合わせて出陳が決められるのは当然のことでしょう。通常クラブ大会では最も競争の高いオープンクラスだと、1時間ばかりはリンクの中にいなくてはなりません。この時ビセンスがイダを出し、サルゥがイネを出し、私がベルをと、同じリンクにカサノバのメスが3 匹並びました。やや小振りなダルが好みと言われるこの審査員の下、ベルはメスの部で 堂々の4位でした。師匠と同じリンクに並ぶとは、しかもビセンスを抜いてベルが私のプレゼで最終審査に残るとは・・・。「プレゼがもう少し決まっていたら、絶対2位か3位は狙えたぞ」と言われましたけど。と言うのもベルだけもう一度走ってみて、と審査員に言われたのですが、ベルったら既にお疲れで・・・。でも、私には十分に誇らしい娘です。

 そして自分が参加することによって得るものがたくさんありました。以前、ビセンスがプレゼしてくれていた時とは質を違えた誇りと喜び、そして敗北感と湧き上がる向上心。私たちはベルを自分たちで出す事によって、本当に自分たちのダルだと言う自覚を持ちえた気がします。それまではショウに出す度に、何だか大切な預かりものの様な気がしてならなかったのでした。ショウは本来愉しむものであり、決してオーナーの人間的欲望を満足させる為の場ではない筈です。ベジェスは常にこう言います。「ショウは時の運。勝っても負けても愉しむ事さ」 そうありたいと願っています。そしてそんな仲間を支えるクラブにしたい。遠い道のりですが、どうにかケンネルクラブ公認の見通しも付いてきました。会報も何とか6号を送り出し、クラブサイトも安定してきました。さぁ、いよいよクラブ大会実現へ向けての準備を始めなくては!

club.jpg いろいろな事がありました。1匹のダルとの出会いから始まり、ついにはクラブ設立と言う愚行とも呼べる行為へとひた走り、犬と人との共存とは何かを考え、ブリーディングを経験し、そして私が得たもの。「こうやって受け継がれて行くのさ。ベジェスが僕を追い越して行ったようにね」とは、ベジェスに初めてのメスを譲ったフランスのブリーダー、ルイの言葉。仔犬を受け取りに来たベジェス兄弟を温かく迎え、フランス語の話せない兄弟に 、身振り手振りで食事から一夜の宿をも勧めたというルイ一家、ベジェスたちが彼によってブリーダーとしてのあるべき姿を学び、開眼していったとも言うべき先輩です。彼がいたから、今のベジェスがあり、そして私たちへと続いているのです。そしてルイの前には、ルイへとブリーダー魂を受け渡した先達がおり、それはまるで命の輪のように連綿と続いているの です。ベジェスから受け継いだものを、私が誰かへと受け渡して行くことこそが、ダルを介して人が繋がるという真の意味なのではないかと思えるのです。いつか私も 、私がベジェスやいろんな友人たちから学んだ事、受け渡された心意気をダル仲間に伝えて行きたい・・・。遠い過去と遠い未来を繋ぐのが今の自分たちであるという事を、ブリーダーとして忘れてはならないと思います。誰もがその時はひとつの「点」であり、そして次へと繋げるための偉大なる点であると言う自覚を持てば、犬種向上の為のブリーディングの重要さを改めて述べる必要もないのではないでしょうか。そして何よりも犬へ向かい合う姿勢によって、己をも知る事が出来る、そんな客観的な視点を忘れてはならないのが、ブリーダーだと思います。ただただ可愛いうちの犬、だけでは済まないのがブリーダーなのです。私たちは次の世代へと命を、私たちの愛しいダルを受け継いでいくのですから。

 ここでひとまず、私の物語は一区切りさせていただこうと思います。この物語を公開する事によって広がり 、繋がったダル友の輪、何よりも支え続けてくれた我が家族に感謝します。そして共に歩んでくれた仲間たちにも。今日も何処かで、ダルとの素晴らしい出会いが生まれますように!