21匹目  ベルのルーツを求めて


さてイギリス・ダル大会がお開きの後は、隣接しているキャンプ場にジョアンを訪ねる事に。キャンピング・カーが幾つも停まっていて、食事用のテントも大きく張りだしています。辿り着いた所には既にモーガン夫妻やイタリアのアントニオ夫妻など顔見知りがいて、ワインやつまみをご馳走になりながらワイワイ。ビセンスが、 「ほら、あのダルがディジーのパパだよ 」と、教えてくれました。

abuelo.jpg「ベルのお祖父ちゃん! 」  MOTEK CITIZEN KANE、なかなか凛々しい顔をしています。私たちが彼の孫娘を持っている、スペイン・チャンピオンになったばかりだと言うと、オーナーのホスキンス氏がとても喜んでくれました。早速写真の為にポーズを取って貰います。ベルのルーツ。父方の祖父(コスモス)と祖母(ドゥルスバ)は知っていますから、これで母方の祖父(ケーン)をクリアーした事になります。残るはディジーのママのみ。今大会には参加していなかったので、後で訪ねて行く事になっています。 「こっちに来たら必ず顔を出すんだ。牧場でいい所だよ。ポンゴも見れるぞ 」とは、楽しみな。
 ターキスタンのジョアンにも紹介してもらいました。穏やかなとても素敵な女性です。別れたご主人はビートルズのドラマーの厩舎係だったので、牧場で6匹のダルと何頭かの馬と暮らしていたそうですが、今は生まれ故郷のヨークで一人暮し、いえ,2匹のダルと暮らしています。そして今日、3匹目のダルを引取りがてら、本当に久し振りにクラブの友人の前に顔を出したとの事。気を張って明るく努めている感じがしないでもありませんけど…。まだ3ヶ月になるかならないかのオチビちゃんですが、さすがにダルの優秀なブリーダーとして有名な彼女、もう既にご褒美を掲げて綺麗に立たせる訓練を始めています。本当に大事なのはこの第一歩からなのだ、という事を実感。 「この子をまた大会に出していこうと、思ってるの 」 そうです、ダルが与えてくれるもの。それは生きる事の喜びであり、生き続ける勇気でもあります。可愛いちびダルのメスは今日から新しいターキスタンを担って行くのです。がんばって、ジョアン!

  さて、今回私たちがイギリスにきた目的のひとつに、3年前の事故の際にお世話になったマコさんにお礼に伺いたい、という事がありました。前もって彼女にご連絡したところ、ぜひお泊りにいらっしゃい、というお誘いを受けました。ですがまさかビセンスまで連れて行く訳にはいきません。3年前、お会いしているのはうちの夫だけ、私も息子もまだお会いした事はなく、ただお手紙とメールのやり取りだけです。今回の旅が決まった時点から、私たちだけで尋ねたい旨はビセンスに伝えてあるのですが、一体その間を彼がどうするのかは未定。ビセンスはジョアンの所へ立ち寄りたいのですが、傷心の女性の元へ行っていいのかどうかも微妙なところ。ですがジョアンがいらっしゃいと、誘ってくれたようなのでひとまず安心。新しい住所と電話番号をもらい、再会を期してお別れです。

 その夜はマイクのお家にモーガン夫妻が立ち寄り、一緒に村のパキスタンレストランへ。大会談義で盛り上がって、ビセンスは興奮気味。モーガン氏は大学の非常勤講師らしく、またペットフード会社のオブザーバーでもあるようで、子供のいない彼らは本当にダルが中心の生活らしい。6匹のダルとの暮らし。 「郊外の方に住んでいてね、家や庭は小さくて質素なんだけど、すぐ近くに運河があって、野原で遊ばせられるんだ 」と、今年シニアの掛け合わせに行ってきたビセンスが様子を聞かせてくれました。イギリス人のモーガン氏のご両親もイギリスのダル ・ブリーダーだったそうで、高齢になった現在は小型犬のブリーダーを楽しんでいるそうです。奥さんのアネックさんのご両親もやはりオランダでは有名なダル ・ブリーダーです。ドッグ ・ショーで知り合い、2代目のダル ・ブリーダーとなっているモーガン夫妻、オランダでは彼らに並ぶものはいない程のダル専門家。でも、プロではない、とビセンスは言います。 「8匹以上飼っていて、それで生計を立てているのがプロ 」と言うのがベジェスの規定。


fiesta.jpg持参したベルの写真を見せ、チャンピオンになった話などしていると、ベルギーでのベルをちゃんと覚えていてくれ、 「姉妹(シニア)よりいい犬だ 」と誉めてくれました。シニアは彼のところのチャールズ・ブラウンと掛け合わせをしたのですが、チャールズ・ブラウンはマイクのところで生まれたダル。密接に繋がった関係です。そして今マイクのところにいるヤーゴはモーガンのところで生まれたチャールズ・ブラウンの息子。シニアの子供たちとは異母兄弟になる訳ですね。私たちはモーガンのところのセルゥインと賭け合わせをしたいと思っています。今後の事も考え、いいお付き合いができればいいのですが。中には嫉妬から仲たがい、もしくは疎遠になる人たちも多いとか。イギリスでCC獲得レコード更新中だというトミー・ブルックは最近セルゥィンが伸してきたのが気に食わなくて、モーガンとは疎遠になったとか。今回の大会も出ていませんでしたが、審査員の好みが自分のダルには合わない、つまり勝てないと思って出なかったのだ、とビセンスの説明。
「あら、見てみたかったのに 」と、私が残念がると、すかさず、 「たいした犬じゃないよ 」と、ビセンスは貶しますが、常勝するにはするだけの理由がそれなりに在る筈。CCの数は連れ出す大会数、つまりはオーナーの余裕次第の面もあるので数が多いほうが優秀と一概には言えませんが。取りあえず見てみないことには何とも言えないし、ビセンスの評価が全てではない(と言える様に、やっと私たちも成長してきたのかも)訳ですから、いきなり貶す訳にはいきません。99年のクラフト大会ではBOBに輝いているのですし。

 そもそもビセンスのは非常にスペイン的な表現に満ちた批評、なのではないかと思うようになってきました。つまり、嫉妬深いスペイン人にとって、中立の立場での批評というのは、非常に苦手なのではないかと思うのです。どちらかの立場に偏った見方をしやすい、自分の主張は声を張り上げてでもするが、相手の主張には耳を貸さない。どうも相手の立場を理解しなくてもいい、と思っている人が多い感があります。こんなところからは一方通行的なやり取りしかできず、討論が成り立ちにくい。何かに傾倒するあまり信奉しやすい危険な面もあります。
 ビセンスが彼のダル道を築くにあたって、まず信奉してきたのがイギリスダル正統派であり、師匠はマイクとジョアン、という訳。でも、マイクを見ていると、彼は批評はするけれど、貶しはしません。この差は何か。いろいろ考えてみて、これはビセンスはスペイン人的に感情的な表現をしやすいからではないか、と思い至りました。同じ内容を言うにしても、感情的に最初に 「ケッ! 」ときたら、これは貶しに行ってしまうし、逆に、 「そうねぇ、あのダルねぇ 」と、少しトーンを落としたら批評的だし。そういう意味では我々日本人と言うのはイギリス的礼節に親近感を覚えるのかも知れませんね。 無事に大会が終わり、たくさんの素敵なダル、そして素敵なオーナーシップを目の当たりにする事が出来、今回の旅の最重要課題は成果大でした。今日は夫の案内でロイアル・クレッセントを見にバースまで行きます。イギリスらしい庭付きの集合住宅は時代の重みが加わって、圧倒的な緑の中に静かに存在しています。庭の花々の美しさ。昨日とは変わって降り出した雨に濡れてしっとりとしていますが、やはりスペインからくると夏なのにこの寒さは、少し寂しい。そしてこのあたりからビセンスの存在に少々くたびれ始めた夫が不機嫌になり、こちらも問題。スペイン人のおしゃべりは相手より大きな声で自分の言いたい事を言い、それに対して反論(ではなく、ただ何かを言っていないと落ち着かないからだけかも、としばしば思う事あり)するには更に相手の声に覆い被さるように言う、これが果てしなく繰り返されて行く、それがスペイン人の“おしゃべり”“会話”と称するものであって、この輪の中に暫くいると頭が痛くなるほど“うるさい” と感じるようになります。
 ビセンス然り。今までは一日か数日、外での付き合いでしたが、こうしてずっと一緒にいると、 「とてもスペイン人とは一緒に住めないかもなぁ 」と、何故かしみじみ実感してしまいます。無論スペイン人でも物静かな人もたくさんいて、私たちの友人は概してそういう人達なのですが、それでもそういう人達が集まると、みんな一様に必ず声が上ずるように思います。どうしてか? つまり、相手がスペイン人である以上、他人の話をまともに聴かないと解っているからです。そしてここにどうしようもないジレンマがあるのですが、スペイン人ほど“他人に自分の話を聞いてもらいたい”人種はいないのではないか、自省へと向かわず話す事によって開放しよう、音として口から出してしまうと、もうそれで不平や不満が拡散できると考えているのではないかと、しばしば羨ましく感じる程に、外へ吐き出し内に溜め込まない術を知っているように思われてなりません。だから、見た事感じた事をそのまま、一度自分の中で整理してというプロセスを踏む事無く、もうそのまま実況中継的に話すので、そんな人が3人も4人も集まったら、如何に収拾が付かなくなるかご想像頂けるでしょう?


daisygranja.jpgさて普段でも口に潤滑油たっぷりのビセンスと密着して旅行しているのですから、時に頭の芯が痺れてくる事すらあります。フウと夫がコンピューター・センターを探して1時間以上も戻って来ない間、私は駐車場の近くでずっとビセンスの際限のないお喋りに付き合う羽目になってしまいました。そしてビセンスの感じている不満をも垣間見ることになりました。サルゥの事です。実はベジェス達の父親が亡くなった際、父親が後妻と暮らしていたマンションを処分し、その半分を息子である彼らが相続したそうです。そして今、そのお金の使い道に関してどうやら揉めている様なのです。もしかの場合にと遺産相続に関する遺書を取り交わしたビセンスとマニュエル。ビセンスはマニュエルに、マニュエルはライムに。これに対し自分への配慮が全くないといってサルゥが腹を立てている、とか。 「でも彼女はライムの後見人として、あの家に住むことが出来るんだ。勝手に処分する事はできないけどね 」と、ビセンス。
「でも、どうしてマニュエルはサルゥに残さないの? 結婚してるんでしょ? 」と、常々不思議に感じていた疑問をぶつけます。それと言うのも、このスペインでは離婚は大変面倒な手続きを踏まねばならず、とても書類にサインしてお終まい、という訳にはいかないのです。スペイン人女性と結婚していたある友人が離婚する事になった際、まず裁判所に離婚調停の申し出をし、調停が行われ、1 年間二人きりで合ってはいけない、会う時は必ず付き添い人がいなくてはならない、もし二人きりで会った事が判った場合、元の鞘に収まったとみなされ離婚調停は破棄され、以降申し立ては出来ない。つまりこの1年間は双方が頭を冷やす期間、という訳らしく、無事(?) この1年が過ぎると、再び離婚調停の場が開かれ、そこで双方がもう見込みがない事を確認し、いよいよ離婚手続きへと進むのだと聞いた事があり、 「結婚より離婚の方がはるかに大変 」とはよく言われますが、真にスペインでは未だもって大変な事なのです。それが既に2人の子供がいたサルゥが、他の男の処へ走ったとなると、その離婚はさぞ血みどろのものだったのではないかと想像してはいたのですが…。
「結婚なんかしてないよ。マニュエルは最初に言明したんだ、墓場まで自分の戸籍は独身としておくんだ、とね。一緒に住みたいのなら来ればいいが、決して結婚はしない、とね。サルゥはそれを承知で来たのさ。離婚する時も自分の2人の子供を引き取りたいから弁護士を雇いたいって騒いでね、とんでもないって言ってやったんだ。それは彼女の問題だってね。自分のお金でやるのなら文句は言わないが、働いてもいない彼女には一銭の金だってないんだ、僕たちの金でそんな後始末をさせられるのは真っ平さ。ライムはベジェスの血を引いているからいい、僕の金はマニュエルからライムに行くので構わないが、サルゥは全く関係ないんだから。それでもライムに行けば結局は自分にだって恩恵がくるんだから、何も文句を言う筋合いじゃないのさ。何度説明しても解らないんだよ。自分の事を何も考えてくれない、ってヒスってばかりで 」と、ビセンスは鼻息が荒いのでした。常々ビセンスはかなりサルゥに、サルゥはビセンスに腹に逸物あるなと思ってはいたのですが。

granja2.jpgスペインでは認知された子は嫡子と変らないので、入籍していなくとも問題はないし、日本では 「内縁の妻 」という表現がされるサルゥの立場も、普通の入籍カップルと大差はない様なのですが、やはり人工受精の苦労までして儲けたライムを守りたいという気持ちが、そして何もかも無くし今はベジェス達に頼らざるを得ない彼女の不安、自己防衛の気持ちは、男のベジェス達には決して理解されることはないでしょう。サルゥの立場としての気持ち、ビセンスの立場としての理屈、どちらも解る気はしますが、狭間で苦しんでいるのはマニュエルなのかも。とにかく遺産が入ってから急激に浮上したこの問題、感情のズレがある以上、早々簡単には片付かない問題でしょう。ビセンスは浪費癖のサルゥに使われないように、何とかしなくてはと言っています。

  さて自国を離れたスペイン人がまず困るのが、食事の時間帯の違い。イギリスは日本並に食事の時間が早く昼食が12時辺りなので、スペインの腹時計の我々からするとひどく中途半端な時間に感じられ、また夕食も7時辺りからとおやつの時間並なので、どうも沢山は頂けません。ジャッキーはイギリス家庭料理を食べさせてくれて、これがなかなかのもの。付け合せに実に多くの野菜(しかも茹でただけというのが基本)が出てきて、イギリスの野菜は味が濃くて美味しい。特に土物、地面の中でしっかり栄養と美味しさを蓄えている感がします。そしてこの国では夜が長く静か。夕食が終わるのが早いから、じっくり読書だって楽しめるし、理想的ですよね。
 スペインは何といっても食事が遅い。夕食を7時台になんて、不可能です。普通の家庭で考えると、学校が終わるのが5時、迎えに行ったりジム(子供たちは週に2回くらい水泳やサッカー、その他のスポーツクラブに通うことが多い。最近は音楽や英語にも人気がある)へ行ったりしていると、帰ってくるのが7時過ぎ。オフィスは通常6時半くらいで閉まり、普通のサラリーマンなら残業はしない。カタラン人は真っ直ぐ家に帰り、外で無駄に散財はしないと言われています。(スペインでのカタルーニャの悪口は[ケチ]という事なのですが、そのカタラン人が「サラゴサ人の方がもっとケチ」と言うとか。本当かしらん)しかし軽目とはいえ夕食は採るから、やっぱりどんなに早くても8時半か9時からにはなってしまう、という訳。食後にゆっくり読書、とはなかなかいかない。スペインは一日が非常に長い国なのだ、という事をイギリスに来てつくづく実感したのでした。


rosie.jpg さぁ、翌日はいよいよディジーの実家、ウェ-ルズとの境にある農場を訪ねます。ここにはあの 「ポンゴ 」がいるので、それも楽しみ。最初の映画が創られた時、ダルはみんなイギリス系でした。ところがあの映画の後、ダルブームが起こり、我も我も(フウのように)とダルを買い、その後、奇麗事の映画とは違う日常生活が犬にもあるという事、更に犬の日常生活は人間のそれをかなり侵食するという事に遅まきながら気付いた人たちが、今度は我も我もとダルを放棄し始め、これがイギリスを始めヨーロッパでは大変な問題になりました。柳の下の何とやらで当りだけを狙うディズニーが2作目を打ち出した時、反対運動が盛り上がり、イギリスの全ダル・クラブは映画用に仔犬を売る事を禁止したと、ビセンスが言っていました。2度と過ちを繰り返さないように、と。  だから、あの駄作 「102匹ダルメシアン 」はアメリカのダルたちが出演していて、青い目がチラホラ見えましたね。イギリスでの撮影も何もなく、ビッグベンが合成で出ているだけ、イギリスの話にこじつけてあるのがお笑いの低級作品、だと私は思います。またもやダルが大量に捨てられた、という事にならなければいいのですが。

  ふむ、農場へ行くのですから緑の中を突っ切るのは当然としても…、クラフト大会までをも中止に追い込んだ 「口蹄疫病 」の傷跡はまだ生々しく、のどかな風景の中にいきなり消毒マットが横たわっていて、 「ゆっくり通りましょう 」と立て札があって、風景が急に生々しく変化。例によってビセンスの 「ふらふら水先案内人 」の指示で探しに探し回って、やっとダルの絵の描かれた農場の 「ウェルカム 」を見つけた時には、溜息。 車を見つけて早速デビッドが来てくれ、まず車は無論の事、私たちの靴も消毒マットで拭くように言われます。他所の国の出来事としか見ていなかった口蹄疫病がひどく身近なものに感じられました。
「ひとつ向こうまで全滅したんだ。あの丘から先には生き物はいないよ。うちは何とか免れてラッキーだったよ。普段から気をつけていたから 」と語るデビッドと奥さんのジャネットはやはり沈鬱そうです。消毒を済ませ農場に入ると、広々と続く丘に羊が元気そうに点在しています。そしてダルたち! 3匹の美しいダルと、1匹の小型犬が駆け寄ってきてご挨拶。 「きれい! 」

  招かれて凹地の中に入ると、3匹が来る来る、元気に駆け寄ってきます。まずディジーのママ、ベルのお祖母ちゃんのロージー(DALLYON BY  DESIGN)は目の所にちょっとスポットがあって、ベルに感じが似ています。そのママ、つまりベルの曾お祖母ちゃんのドーリー(DALLYVISTA  DOUBLE CONCERTO)は、逆に顔が白っぽくディジーみたい。でも、雰囲気がベルに似てる。2匹ともとても女性っぽくて、優しい表情をしています。そして、そしてあのポンゴ! 彼はお酒の名前と同じ、バァレィ君。ベルだって子供たちに、 「あ、ダルだ! ポンゴだ! 」って言われて、自分の名前のバリエーションのひとつがポンゴだと思っているくらい、浸透しているこの名前。その本物がここに、私の目の前にいて実にダルらしく、 「撫でて、撫でて 」と頭を差し出す仕草の可愛さ。何だかベルが恋しくなってしまいました。元気にしているのはマニュエルやサルゥから聞いていますが、どうしているかしらと思うと、ホームシックに罹ってしまいそうです。

 お茶とケーキを頂きながらお部屋を見回すと、天井に掛かった太い梁にたくさんのリボンが止められています。代々のダルたちの素晴らしい成績がこうして称えられているのです。

「このところ大会には出ていないんだ。みんなもう歳だしね。新しい事業を始めてね、そっちが忙しいのもあるんだけど。うん、ペット・ホテルを始めたんだよ。新しい犬舎を作ってね、良かったら見ていくかい? 」と、デビッドに誘われ庭へ出ました。どこまでも続く緩やかな丘陵地帯、緑に覆われたこの丘の向こうが死に包まれた世界とはとても思えません。敷地内は全て柵が張り巡らせてあって、ダルたちが外へは勝手に行けない様になっています。緑の柔らかい、本当に絹のように柔らかな草の上に、それぞれがポーズを取ってくれますが、10歳になるドーリーも、まだ美しくてどちらかというと8歳の娘のロージーよりも体が締っています。そしてジャネットがポンゴにあのポーズ、男の子か女の子かを確かめようと足を上げたご主人に対して取った 「恥ずかし~ 」のポーズ、あれをやらせてくれました。合図の言葉を言うと、パッとポーズ。未だに体が覚えているのですね。何度もやってくれて、可愛いけど、嬉しいけど、いいのに、そんなに芸してくれなくても。見ているだけで嬉しいんだから、と申し訳ない気がしますが、彼もご褒美にクッキーを貰って嬉しそうだから、いいのかな? 

bailey2.jpg 敷地内に真新しい犬舎があり、中央に通路、左右に個室があり、さらにその外側にはそれぞれ策に囲まれたちょっとした庭があります。 「一匹ダルを預かってるんだ、レバーなんだけどね 」と、デビッドの案内で中も見せてもらいました。ドアの上に窓があってそこから除くと、ベッドに丸くなって寝ていた茶ダルちゃん、ひと恋しいのか寄って来ています。床は水掃除がしやすいようにコンクリート、水はけ用に溝も作ってあり、広々していて大型犬でも十分中でウロウロ出来ます。そして庭に面した方にも小さなドアがあり、そこから庭に放してもらえるのです。他の犬とは一緒にしないように時間割をしつつ、一日に2度外の庭で遊ばせてもらえるそうです。個室は10室程度。決して過密な感じがせず、今まで預かったお客からは概して評判が良いとの事。こういうしっかりとした施設がもっともっと増えることを願わずにはいられません。それがリーズナブルに利用できるようになれば、ヴァカンスが近づく度に捨てられる犬が増えるなんていう、悲しい現象にも歯止めが掛かるかもしれない…。

 名残は尽きませんがもう帰らなくては。今夜もマイクの家にモーガン夫妻が来る事になっています。帰り道が分からないだろうからと、ジャネットが本道まで案内をしようと申し出てくれました。その前に展望の素晴らしい丘があるから、まずそこへ行きましょう、と連れて来てくれたのは“Hatterral  Hill”という、ウェールズとの境に位置する素敵な丘です。背の高い生垣が何処までもうねうねと続く道を上って着いた所には、一面アザミが咲き乱れ白いむっくりした羊が草を食んでいました。羊すらも顔がイギリス的。どちらかと言うと山羊に似て思慮深そうです。みんながそろそろと移動していく中で、一匹だけじっとこちらを見つめて止まない羊がいて、観察しているのか、されているのかといった観。この丘からの展望は素晴らしく、峰を巡る良きハイキングコースにもなっているそう。次回はトレッキングもしてみたいなぁ。どうも歩きが不足してしまいますね、旅行中は。ベルを連れて来たら喜ぶだろうなぁ、と思うと、またもやホームシック。

 この夜も夕食後にモーガン夫妻が食後酒を楽しみにきて、犬談義。 「この間初めて青い目のダルを見たけどね、とても綺麗だと思うわ 」との、アネック夫人の発言に、すかさずマイクが異議を唱えます。
「だが、正統ではない 」
「まぁ、そうなんだけど。でも綺麗は綺麗よ 」
「見るだけならね 」と、マイクはにべもない。如何にイギリスは正統であるという事を重視するか、それに比べやはりヨーロッパは美的な部分にも惹かれやすい、という特徴の差が出た会話だったように思います。私は青い目のダルはまだ見た事がありませんが、 「美しいが正統ではない 」のか、 「正統ではないが美しい 」のかは、微妙なところなのかも。でも、カレンダーにアメリカの青い目のダルが出ていると、ベジェス達は一言で片付けてしまいますけど。 「ケッ! 」と、ね。

 ところで、モーガン氏の犬の扱い方を見ていると、本当にカリーニョ(愛情深い)なのです。大きなお髭面のおじさん(失礼)が口をすぼめて 「チキチキチキッ 」なんて音を発しつつ、自分の所で生まれたヤーゴをあやすやり方を見ていると、本当に微笑ましくて。私があんまり愉快そうに見ているのでちょっと恥かしげに頬を染めるところも、実にいいのです。何とも言えない情の深さがしみじみ感じられます。マイクやジャッキーもそう。食事のテーブルに張り付いている3匹のダル達にそれぞれお裾分けをしているのを見て、私は内心ほっとしました。イギリスはとても躾に厳しいと聞いていたので、そうした行為はありえないように思っていたのですが、家族としてとても自然に暮らしている姿が素敵なのです。ダルたちは皆な自分の家として居間で寛ぎ、ソファを陣取り、家族の周りをぶらつき、甘え、遊べとせがみ、何よりも愛されたいと願っているのです。こんな姿を見ていると、人一倍甘えん坊のベルがベジェス家でちょっと肩身の狭い思いをしているのではないかと、可哀想になってきました。


verguenza.jpgさて、翌日からは湖水地帯のマコさんにお会いすべく移動を開始する予定でしたが、ビセンスとジョアンの連絡がうまく付かず、私たちはやきもき。マコさんとの約束の日程は決まっていますし、離婚したばかりのジョアンのちょっと不安定な状況を考えると、そうそう強くも出られないので、とりあえずビセンスにどうする気かを確認。結局何とかなるだろう、という実にスペイン的考えでビセンスもジョアンの住むヨークに向けて私たちと移動する事になりました。最初にヨークに寄ってビセンスを落とし、私たちは近くのB&Bででも泊まり、翌朝湖水地帯に向けて再度移動。2泊してからビセンスを拾いにヨークへ戻り、再びマイクの家にと帰る予定です。さすがにここらでビセンスの止む事のない音の洪水、ノイズ攻撃から逃れたい、というのが家族全員の正直な気持ち。しかしジョアンと連絡が付かない場合は湖水地帯へ連れて行かざるを得ないかもしれませんが、とにかく行動あるのみ。私たちとマコさんとの日程が遠の昔から決っている事は、ビセンスだってよく分かっているのですから。マイクのところに残っていても構わないのを一緒に来るという以上は、彼は彼で何とかする気なのでしょう。

 マイク達にしばしの別れを告げ、一路ヨークへ。携帯からジョアンに連絡を入れさせると、のんびりとしたジョアンの声がして、どうにか彼女を捕まえることに成功。あちら様としては 「あら、もうこっちに向かっているの? 」という感じでしょうが、とにかく良かった。日の暮れないうちに何とか無事に彼女の街に入る事ができ、目印のガソリンスタンドで彼女に再会できた時は安堵のあまり全員溜息状態でした。
 まずはビセンスを送り届けるつもりでジョアンのお家に立ち寄ったのですが、いきなり押しかけ隊に嫌な顔もせず親切にも泊まっていけと申し出てくれびっくり。辞退する私たちの横で、 「気にしないで泊めてもらえばいいんだよ。次にお返しすればいいんだから 」と言っているビセンスを、そうか、そういう風に受け止めればいいのか、と感心するやら呆れるやら。とにかく有難くご招待をお受けする事にしました。

 ジョアンのお家はバンガロー形式と言うのだそうで、家の前後に庭があるのは同じですが、家が2階建てではない平屋。紫陽花が雨に濡れて鮮やかに咲いています。小さなキッチンの隣に暖炉付きのこぢんまりとした居間、主寝室と客用寝室、もうひとつの小さな部屋は犬たちのもの。犬用お布団とおもちゃなどが置いてあって、ジョアンがドアを開けると3匹のダルが飛び出してきて大歓迎。居間の壁には彼女が最も愛した偉大なチャンピオン犬、ルーカス (THEAKSTON TAMERLAN、1993年クラフト大会BOB、ドゥルスバの父親であり、ディジーの曾祖父)の絵が掲げられており、その他にもダルたちの素敵な写真や陶器のアンティークなダル人形と、何故かドラゴンの人形が飾られています。アンティーク風なフットツールに張られたクロスステッチ製のダルの刺繍は、彼女のお手製だそう。とても家庭的な女性なのに…。でも今はダルが家族、3匹の中にはクラブ大会の日に引き取ったばかりのオチビチャン、ローレンもいます。そうか、ここで(正確に言うとこの家ではないけど、彼女の元で)あのポンゴのバァレィと、大好きなジョーが生まれたのか、と思うと感無量。ベルは父方からも母方からもここの血を引いているのですね。ルーカスは曾祖父であり、曾曾祖父に当たる訳です。う~ん、ややっこしい…。

  しかしこんなに雨の多い国では、散歩は本当に大変だと思います。人間はレインコートやら傘やら身を守る術はあるけど、犬は(確かに犬用のコートもあるけど)走り回っている内にお腹なんか泥ハネだらけになってしまうし、1匹ずつタオルで拭いて乾かしてやってドライヤーをかけてと言うのは、大変な手間でしょう。しかもほぼ毎日雨が降る。今夜もいつの間にか小糠雨が降り出しています。
  ジョアンの案内で地元っ子のお気に入りのパブで夕食をという事になり、どんどんと本道から外れ田舎道を走っていくと、 「あの城館でヘンリー8世の奥さんの一人が処刑されたのよ 」なんて、ジョアンが何気に指差す方向には、血塗られたイングランドの歴史的建造物が雨の闇の中に立っているのでした。怖い…。イギリス系の学校なのでイギリスの歴史を学ぶ息子は、興味津々。そう言えば前にマダム・タッソーの蝋人形館でもヘンリー8世と6人の奥方にご対面したっけなぁ。しかし未だにそういう城館が普通にあるのが、やはりイギリスなのですね。

 ジョアンのお家ではダルは寝る時とお留守番の時は、自分たちの部屋に入って過ごしているようです。朝、彼女が起き出した気配でダルたちもそわそわ。でも静かです。またまたしっとりと濡れた中をジョアンが早くからダルを連れて散歩に出かけていきます。まだオチビはお留守番ですが、3頭を連れ出すのってどうするのかしら。 「慣れれば平気さ 」と、自分も5頭を一人で出しているビセンスは事も無げ。う~ん。このオチビちゃんも6ヶ月になるこの冬からはドッグ・ショーに出て、新しいチャンピオンへの道を目指すのでしょうね。心から声援を送りたいと思います。

 さて、ようやくビセンスと別れ家族水入らずになって、ヨークから湖水地帯へと真横にと山を越えて行きます。だんだんと荒れたヒースの野が拓け、この荒地の風景が詩人を育み、嵐が丘のあの寂しさを生んだのかと思うと、何処までも何処までも、ただ風だけが吹き渡って行くかのようです。峠は乳白色の霧。
 湖水地帯も雨。あぁ、ここで事故に遭ったんだ、あのホテルでお世話になったんだ、と懐かしさで一杯です。 「あ、ここの警察署で尋問されたんだ 」と、夫も今では懐かしい思い出。事故の事情聴取のために警察がわざわざ日本人の通訳の方をちゃんと呼んでいてくれて、その方がマコさんだったのです。近くの大学で日本語科教授をしておられるとか。お会いするのは私は今回初めてです。ご主人のデビッドさんは造形作家。郵便局に勤務しながら自宅アトリエで製作を続けておられます。お家に着くと、アトリエの窓の所に 「ようこそいらっしゃいました 」と日本語のウェルカムカードが飾ってあって、待ち兼ねていて下さった事に感激。
 マコさん宅は完全な菜食主義者、野菜はオーガニック野菜と言う徹底振り。デビッドさんの作品が所狭しと飾ってある居間で、初対面同士とは思えないほどに楽しくお喋りに花が咲き、それぞれ外国で生きる日本人としての悩みは共通なのだなぁ、という事も実感。マコさんの日本語教育は素晴らしく、学生たちは卒業時には日本の新聞がちゃんと読みこなせるのだとか。フウはデビッドにチェスを挑み、5分で完敗。それもその筈、彼はこの街のチェスチャンピオンなのだそうです。
「何だかドュシャンみたいね 」
 翌日は珍しく快晴。気温はぐっと上がり気持ちの良い夏の陽射し。お弁当を持ってハイキングにという事で山の中の湖へ向かいます。道を知っているデビッドが運転する事になったのですが、飛ばす飛ばす! 見かけによらず山道をびゅんびゅんちょっと暴走気味。恐い。翌日はお家の近くにある清教徒センターを案内してもらい、デビッドはどう見てもちょっと浮世離れした修行僧的だなぁ、と妙なところで納得。たった2泊3日でしたが、本当にやっとお会い出来たマコさんはずっと以前からお友達だった様な、不思議な懐かしさを感じさせてくれる方でした。またお会いできる日を楽しみに、お別れです。

 ヨークへ戻るとビセンスが一人お留守番。ジョアンは福祉のボランティアで独居老人のお家へ行っているとか。 「ほら、これを買ったんだよ。昨日の日曜広場で競り市があるっていうんで行ったら、これが出てて 」と、ビセンスが嬉しそうに見せてくれたのはアンティークの陶製ダル。ジョアンの暖炉の上に飾ってあるのと同じものです。無論顔の表情やスポットなどは手描きですから微妙に違いますが。
「競りなんて初めてだからどうしていいか全く判らなかったんだけど、ジョアンがあれが欲しいのかって聞くから、うん、て言ったら、じゃ任せてて言ってくれてね 」と、ニコニコ。
「とても素敵だわ。良かったわね 」と、私は少しほっとしました。ひとりにして行ったので気掛かりでもあったのです。まもなくジョアンも帰ってきて、再会を期してお別れです。来春、復活祭の頃バルセロナに行きたい、と言って笑っていた優しい彼女。どうかダルと一緒にもう一度、新しい喜びへと向かって輝いて下さいね。

 雨のヨークを後に、再びマイクとジャッキーのお家、ストラット・フォード・アポン・エイヴォンへと向かいます。残るヴァカンスも後僅か。今日はジャッキーの手料理で待っていてくれるとか。旅の途中であっても帰る所があるというのは、心を落ち着かせてくれます。この素晴らしい緑溢れる国へ、いつかベルと一緒に来たいものです。