15匹目  入院ダイエット


やがて早やひと月が経ち、一回り大きくなったフウが帰って来ました。今年は初めて行きも帰りも一人だった彼は、またぐっと成長したようで「何でも食べるし、手が掛からなくなって」と、我が母も喜んでいます。空港からお祖母ちゃんの待つ若狭まで、毎回毎回送り迎えをしてくれる叔母夫妻に感謝です。さぁ、やっと私たち家族のヴァカンス。去年はフウの中耳炎騒ぎで海には行けずじまいだったので、今年はちょっと海にも行きたい。という事で、夫が改築を請け負ったルイスの別荘にお邪魔する事になりました。

playa.jpg パラドールという国営ホテルのある「アィグア・ブラバ」の入り江にあるルイスの別荘は小さな砂浜に面していて、その立地の素晴らしさは何物にもかえがたいものがあります。現在は海岸線規制が敷かれ、海から100メートル以内に新しく建物は建てられませんから、より価値が出てきています。漁師の家だったものをこの町の市長が別荘にしていたという、古い小さな建物を改築した別荘は、テラスから広がる入り江の風景はなかなかのものです。ただ小さい浜に芋の子洗いの状態が夏中続くと言うのは、私個人としては好きではありまんが。ルイスも泳ぐのは朝か夕方と言っていますが、まぁ水の冷たい事。コスタ・ブラバ沿岸はリアス式でいきなり深くなっていて、水は冷たいのが普通なのですがここはまた一段と冷たい気がします。人のいる時間の砂浜には犬は禁止なので、ベルはルイスのオス犬「ソルト」と庭でお留守番です。このゴッス・アトゥーラ「ソルト」はカタラン語で幸運と言う意味を持ち、しかも出身がピレネーのソルト(この町はクリスマスの高額宝くじの当りをしばしば出す事で有名。全国は無論、世界中から注文があるそう)、気が良くてベルの方がどっちかと言うと態度はでかい。何処へ行っても女王様気分。私とルイスは磯場で日向ぼっこ、フウと夫は釣りに余念無く、何と余程人ずれしていない魚が多いのか、あれよあれよと言う間に今夜のおかずが釣れてきて、ルイスもびっくり。
「ここで釣れてるの、初めて見たよ」とは、大げさな。ルイスの所は1階がサロンで2階にルイスの部屋、もうひとつ予備の部屋があるのですが、今回はこの二階にルイスの両親、隣のレストランにバイトをする為にフランスから来ているというルイスのガールフレンド出稼ぎ組みが二人いて、ルイスはサロンのソファで寝ています。私たちは何とテント持参。庭にテントを張るっていうのも、不思議な光景かも。夕方、日も暮れて人影が無くなった頃合にベルとソルトを浜に連れだし散歩をします。浜自体は小さく直ぐに尽きてしまいますが、遊歩道が隣の浜まで行けるようになっていて、その辺りは古くからの別荘地帯で良いホテルもあり、なかなかの雰囲気。フランス人とイギリス人の滞在客がやはり多いようです。酒は上手いし安いし。彼らの国の気候と食事を思えばここは天国、の筈。ソルトは海で遊び慣れていてどんどん泳いで行くのですが、ベルはどうもあんまり泳ぎは得意じゃないみたい。毛が短いので冷た過ぎる水も苦手なんでしょうけど、直ぐに引き返して来ます。ベルは森の犬だから仕方ありませんね。

 ルイスのお母さんが御得意のガスパチョとフィデオアを作ってくれました。彼女のガスパチョはクミンを少し効かせるのがコツだとか。冷たく冷やして夏には欠かせないスープです。そしてフィデオアも絶品。これは魚のスープで作るパスタ・パエジャ。具に入れるイカもエビもみんな剥き身にしてしまうので食べやすく、お米とは違う美味しさです。お試しあれ。もちろん釣ってきた魚も唐揚げに。食後のひととき、ルイスのご両親と共にみんなでドミノに興じます。スペインで本当に素敵だな、と思うのは家族仲の良いところです。無論これは其々が自立しているからこそだと思うのですが。就職難と地価高騰のため中々自活できず、今は遅くまで家を出られない若者が増えていますが、本来この国では結婚前であっても割に早く家を出て自活し、頭金などを援助してもらいながら小さなピソを買い、そして結婚や出産などの家族形態に合わせ買い換えていくのが普通です。子供達がみんな家を出たあと残された夫婦のあり方が問題になる訳ですが、また二人になれると言う事を楽しみにしているカップルも多いのです。だからこそ週末には家族が集まってお昼を食べる、そんな距離を置いた付き合い方が活きてくるのでしょうね。ルイスのご両親ももちろん普段は二人だけの生活、この1週間息子の別荘に来てのんびり日光浴を楽しんでいるのだとか。両親に対するルイスの態度がとても優しくて、根気良く静かに付き合っています。お父さんは大のドミノファンらしく、素人の私たちにルールを教えては嬉しそうな事。楽しい海のヴァカンスでした。

lago.jpg お盆が過ぎ、私の仕事も一区切りついたところで、例年の如くピレネーはカルドス渓谷へと向かいます。ベルも二度目。そして今回から初めてホテルではなくアパートに滞在する事にします。幾ら部屋まで一緒で良いとはいえ、1週間も10日もひと部屋きりのホテルにベルと一緒というのはちょっと厳しい。それに朝はメイドさんに合わせて、食事を済ませてからベルを外へ連れ出さなくてはならないし。ところがアパートメントなら朝ものんびり自分達のペースに合わせて動けます。お馴染みのホテルの経営するアパートメントはホテルの直ぐ近く。夕食はホテルのレストランで済ませる事にして、席を予約しておきます。
 勝手知ったる何とやら、さすがに10年近く通っているとマウンテンバイクもトレッキングも、川でのラフティングもバナナボートもやり尽くし、釣れない釣りも諦めて逆にのんびり過ごせます。フウはいつもの様に友達のトイとパウと遊びに出かけたきり。どうやら夕食の為のテーブル・セッティングなども手伝っているらしい。トイとパウはこの秋からバルセロナの学校に通う事になったとか。背の高さが買われてバルサのバスケット・クラブのジュニア養成コースへ進むのです。
「バルサのコーチがうちの昔からのお客さんでね、小さい頃からこの通り背が高かったから、クラブにぜひ入れと誘われてたんだ。姉のマリアもサラも、僕も中学校からはバルセロナの学校に行ったんだよ。最初はマリアとサラが寄宿舎にいて、僕が行く時に親父がピソを買ってね、お手伝いさんを置いて姉弟3人暮らしで。まだ12歳だったし、きつかったよ、親元を離れて暮らすのは」と、シント。
「でもやはり、ここでは十分な教育が受けられないし。それにバルセロナでは私の母の所に預けられるから」と、女医でもあるルイサ。彼女は夏の間は女医を休暇扱いにしてホテルを手伝っている、この辺りの渓谷一帯のお医者さん。連絡があれば24時間体勢でケアしなくてはならないハードな仕事ですが、医者になりたてで空きの見つからなかった時代こちらに赴任してきて、
「ほら、こんなに背の高い女性が来たもんだから、びっくりしてね。若い娘が少なかったから、結構激しい恋の争奪戦があったんだよ」と、なかなか似合いの2 人はニコニコ。年をあけて生まれた末娘のコロナはやはり4歳とは思えない成長振りで、モデルにしたいような可愛さ。客商売の血を引いてか、生まれた時から人懐こい。私が作る白詰草の花の首飾りがシントとコロナの大のお気に入りで、作り方を教えてくれというので今回はバールで教習会なんか開いて、ちょっと先生気取り。山で暮らす事に心から満足をしている彼らを見ると、何だか心が慰められるのでした。長姉のマリアはご主人がフランス人で、お互いの仕事の関係上ずっとご主人が南フランス、自分はバルセロナで、ヴァカンスを一緒にここで過ごすという生活をしています。ヴァカンスとは言ってもマリアもホテルを手伝っているし、私たちは長い間彼女とシントがここの若オーナーだと思っていました。離れての生活ですが、
「カリーニョな気持ちがあれば平気よ」と事も無げ。カリーニョな気持ちとは、相手を愛しいと思う気持ち。でも長続きさせるのって難しいと思うのですが、大人の二人は淡々とした感じ。ご主人は釣りキチらしく、フライ・フィシィングの全身装備で穏やかそうに寛いでいます。

 さて、今年は紐無しでOKの山へ行こうという事で、今まで未だ行った事のない湖に向かって、出発。結構ハードな山歩きですが、ベルは例の如く大はしゃぎ。ところが途中で5メートルほどのほぼ絶壁を下るしか道がなく、高所恐怖症の私はパニック状態。どうやって降りるか、どうフォローするのか、別な道はないのか大騒ぎしている最中、ふと見るとベルが絶壁から下を覗き込んでいるではありませんか! 好奇心旺盛でちょっとおっちょこちょい気味のベルの事、「ベル、危ない!」と夫が叫んだのと、彼女が落ちたとのどっちが先だったのか。家族全員呆然と立ち尽す中、私の頭の中にはベルを抱えて山を下るのか、それともヘリコプターの救援部隊を呼ぶのか、走馬灯の如く気が逸っていたのですが、下を覗きこんだフウが、
「生きてる! 走ってるよ!」と叫ぶではありませんか。思わずヘナヘナ。
「ビッコは? ビッコは引いていない?」
「大丈夫そうだよ。とにかく降りよう」と、まず夫が降りると、ベルの奴、嬉しそうにスリスリしてます。なんて人騒がせな! 初物を百個くらい食べない事には、縮んだ寿命が取り返せそうにないわ!
「おかーさん、ベルは大丈夫だよー。早く降りて来てー」と言われても。怖くて頭の中がちりちりしますが、どうにか下から夫に支えてもらって無事に崖の下に。あぁ、涙が出そう…。
「こんなとこを跳ぶなんて、カモシカじゃないんだからね、お前は」と言っても、馬耳東風? 去年はホテルのプールに落っこちたし、滝やら崖やら、とにかく私たちが行く所はどこでも除きこむので恐くて仕方ありません。
「ベルって、やっぱりフウに似てるね。ほら、ンン?っと思ってふっと見ると、フウも海に落ちたり川に落ちたりしたじゃない。虫が知らせるって言うのかしらん。ふっと見ると、その瞬間に視界から消えるのよねぇ。しかも全然声をあげないし」
「僕の子だからね。性格が似るのは当たり前だよ」
「いいとこだけ似てくれればいいのに。やたら食い意地は張ってるし」
「グルメなのは仕方ないの!」何て言ってると、フウもやはり滝壷につるり。似てるよ、やっぱり。まぁ、とにかく双方大事に至らず良かった良かった。草原で何か咥えてきたなと見れば、どうしてこんな所にあるの?という、大きなパンを嬉しそうに咥えて息せき切って走ってくるベル。あらら。

rio.jpgあと少しで湖と言う最後の道が険しく、ひたすら黙々と歩いて登りきった岩の狭間から眼下に広がる、緑と蒼が混じった湖の美しさ。登り詰めた果ての満足感と開放感で、思わず溜息が漏れます。すると、突然何故かここに大きな牛が登場して、私とベルはギョッ。
「牛がいる~!」と、後続の2人に叫びます。ですが、2人が登ってきた時には既に牛は見当たらず、
「何処に? いないじゃないか」
「寝ぼけてんじゃないの?」
「あれ? いたわよ、大きいのが」
「白黒だった? ベルなんじゃないの?」と、冷たい反応。おかしいなぁ。ところがお弁当を食べ、そこら辺り一帯に群生しているブルーベリー採りに夢中になっていると、
「うわぁっ! おかーさん、おとーさん! 早く来てー!」と、フウの声が。さほどの切迫したものでもないなぁ、なんてブルーベリーを採る手を休めず聞いていると、ますます派手にぎゃーぎゃー騒ぐようなので、どっこらしょっと見に立ちあがると、まぁフウったら牛に追い詰められて岸近くの岩の上に跳び乗って、「来るなー!」と叫んでいます。どうも足元にあったリュックに惹かれて来たらしい。
「やっぱりいたじゃない」と言って夫の方を振りかえって思わず、ギョッ! 何処から降って沸いたのか、大きな牛が何頭もわらわらと私たちを取り囲んでいる (ような気がしただけ)ではありませんの! 夫が急遽牛飼い人となって追い払うと、牛たちはモォ~とも言わず静かにカウベルだけを響かせて、何処へともなく去って行ったのでした。夏の間中山に放牧されているのでしょうね。ベルったら大きな牛にはちょっとビビッタのか腰は引け気味でした。

収穫のブルーベリーは帰ってジャムに仕立て、近くの農園のヨーグルトに混ぜて朝食のお友達とします。ご馳走様でした。この谷はなかなかに美味しいところで、隣村にはこの辺り一体で有名なヨーグルトとマト(カテージチーズ)の農園があり、ヨーグルトはちっとも酸っぱくなくてとてもナチュラルなお味。マトもまるで絹ごしの様に滑らかで、街で売っている工業的生産物とは全く違います。農園で売っているオレンジの花の蜂蜜をかけて食べると、本当にフレーバー。マトに蜂蜜と言うのはカタルーニャの一般的なデザートで、シンプルだからこそマトそのものの味が勝負なのです。私もこの谷で食べるマトが大好きですが、フウはわざわざ小一時間歩いて買いに行く程、この農園のマトがご贔屓。マト屋さんの隣にはお肉屋さんがあり、やはりここのソーセージ類、卵、そして何と言っても羊が美味しい。こちらでは羊はとても一般的な食べ物で、肉の中ではお高いほうなのですが、みんな腿肉を1本、という感じでよく買っています。炭で焼くと美味しい。カブリートと呼ばれるお乳だけで育った子羊も好きですが、これは何処にでも売っているとは限らないので、見かけるとつい嬉しくて買ってしまいます。
 今年の収穫はこのほかに木苺、これは洗って大きな壜に詰め、日本なら焼酎のところこちらではジンをたっぷり注いで、家に帰ってから氷砂糖を入れリキュールに仕立てます。これは色も綺麗でカバに少し垂らすと食前酒にぴったり。茸は残念ながら今年は期待外れでした。暑過ぎるのです。シロッコと呼ばれるサハラ砂漠からの砂塵を含んだ風が吹き、山ですら日中は35度辺りまで上昇し、乾燥し焼けた空気がひりひりと毛穴からも侵入してくる感じで、何もかも白く霞んで見えます。バルセロナは39度、内陸部は43度というニュースを見ると、夜になるとぐっと気温が下がり毛布がいる山でのこういうニュースって、何だか優越感に浸れるようで「おぉっ!」と、家族で思わず歓声をあげてしまいます。

9月からはバルセロナ暮らしをするトイとパウ、ホテルは9月一杯で来春まで休業になるので、出来るだけシントとルイサも週末にはバルセロナに下りると言っています。かつてインドを旅した時に2人ともカレーファンになったと言うので、我が家のカレーに招待する約束をして山とお別れです。山を下るにつれ、青く高かった空は霞み始め、バルセロナに着くと海からの水蒸気が上がって全体が霞んだようになっています。明け方に気温がぐっと下がる山では、窓を空けて寝るなんて考えもしませんでしたが、全開という感じで寝苦しい夜を過ごします。我が村はバルセロナよりはこれでも4度ほどは気温が低く湿気も少ないのですが。ベルも何だかぐったり、日中は寝てばかりいます。少しでも気温の涼しいうちにと、朝も8時過ぎには家を出るように心がけ、今日もカン・ボレールまで。
 勝手知ったる縄張りとばかりにベルがレストランの裏庭のゲートが開いていたのをいい事に、おこぼれ探しに入っていって中々戻って来ません。必死になって呼ぶ夫、だんだん声が苛ついて来た頃、舌なめずりしつつベルが元気に走ってきました。おジジ(フウが親なので夫と私はおジジ、おババとなってしまう)からお尻に一発食らって、必死に愛想笑いをしてご機嫌取りをしています。ベルはすごくよく笑うのです。これはドゥルスバお祖母ちゃん譲りだそう。ディジーママはあまり笑わないし、ジョーは全然。シニアも少し笑うかな。でも、ベルの笑い方には負ける。
「あ、笑ってる! ごめんなさい、ごめんなさい、お父さん。怒んないでぇ」と、ベルに吹き出しコマを付けて遊ぶ私。
「ダメでしょ、変なもの食べちゃ。おなか壊すでしょ」と、おジジはどこまでも甘いのでした。

pie.jpgところが、この日散歩から帰ってきて何時もの様にソファに寝ていたベルを置いて出かけたのですが、帰ってきてドアを開けるとドアの傍でベルがぐったりと横になっています。私が撫でてやるとそれでも立ちあがってどうにかフラフラとソファまで来て、またぐったり。筋肉がぴくぴく痙攣しています。
「あら、また筋肉疲労かしら」
 長距離のハイキングなどの後に何度かこういう風に筋肉が痙攣し、しばらく動けなくなった事があったのです。大概それは疲れが癒えれば回復し、お昼過ぎから夕方にはもう平気!と、またもやヤンチャになっていたのですが。しかし今日はそんなに歩いた訳でもないし、暑さバテかしら。とにかく水を飲ませようとするのですが、何だか置きあがって水も飲めない有様。お薬をあげる時の注射式スポイドでスポーツドリンクを飲ませますが、あまり欲しくないみたい。そのうちに息が上がってきて、ハァハァいい始めました。私はベジェスに電話し、どう思うか聞く事に。
「う~ん、それは自治大病院に連れていった方がいいな。もしかしたら何か変なものを食べたんじゃないかな」と、マニュエル。土曜ですし、緊急事態は自治大の方が安心だし、という事で大急ぎでベルを救急で駆け込む事に。全く動けないベルを夫と私で何とか持ち上げて車に乗せます。先生に事情を話すと直ぐに、
「毒物だね。とにかく胃の洗浄をしないと。それからレストランに電話をして、鼠捕りか何か使ってないか聞いてみてください。毒物には3種類あって、科学的薬物が2種類、これは処置が簡単なのと難しいのと2つあるので、薬物の種類が解ったほうが処置が早いから」と言われました。レストランに早速問い合わせると、常時猫を数匹飼っているので薬物は一切使っていないとの事。急いでその旨を知らせ、どきどきしながら先生を待ちます。
「大丈夫。何とか間に合ったからね。胃と腸を全部洗浄したけど、未だ様子を見ないと行けないから今夜一晩は入院してもらわないと。月曜にならないと研究室が開かないから、毒物の種類が調べられないんだ。何かあったら直ぐ連絡するから落ち着いて」と、言われます。大急ぎでフウとベジェスに報告すると、其々電話の向こうで安堵の吐息が聞こえます。何とか一息ついて面会に行くとケージの中でぐったりとしているベル、瞳孔が大きく開いて青々として見えるのが痛々しげで、思わず涙が出てしまいます。排泄物がお尻の辺りを少し汚していて可哀想なので、タオルで拭いてやるとぺろぺろと私の手を舐める力も弱々しくて。明日の朝9時から11時の間、面会が許されるというのでその日は諦めて帰りました。その日は夜じゅう、病院からの電話が鳴るのではないかと心配でまんじりとも出来ませんでした。真夜中に鳴る電話ほど不吉な予感を誘うものはありません。

 翌朝、9時ちょうどに未だ開いていない大学病院のベルを押して、そんなに急かさないでと苦笑されつつドアを開けてもらい、フウと3人面会に行きました。ケージの中で未だぐったりしたままのベル、私たちを見かけて嬉しそうなのですが、体には震えが残っています。変わりばんこに体を摩ってやってから先生にお話を伺いに行くと、
「あれからも未だ中に残っていたから出させたんだけど、ちょっと危なかったね。取りあえず午後までは様子を見るから、また夕方の面会時間にいらっしゃい」と、言われ、でも何とか一命を取りとめたんだし、大丈夫よね、と家族3人声を掛け合って帰ります。夕方に行くと、今度はケージの中で立ちあがっています。少し外へ散歩をさせてもいいよ、とお許しを頂き外の庭へ。直ぐ近くには厩舎があって馬の嘶く声が聞こえる中、ベルはおしっこを済ませかなり元気になってきました。でも念の為にもう一晩入院しなくてはいけません。明日にならないとラボラトリーが開かず結果が解らないからです。それに瞳孔は未だ完全に元に戻ってはいません。
 翌朝3人で面会に行くと、もう連れて帰ってもいいよ、とお許しが出ました。検査の結果では化学物ではないという事で、何か腐った動物の屍骸か毒性の植物かを食べたんじゃないか、と先生の説明。よく散歩に行く辺りなので毒が撒いてあったのではないと聞いて、ひと安心ですが、やはり何でも食べる習性は危険です。
「グルメはいいけどいやしん坊はダメだよ」とフウが諌めていますが、言う事聞くかな? でも、ほらっ。何だかお腹のラインがえぐれて、いい感じ。宿便まですっきりさせてもらっての最高のダイエット、と言うところかしら。このままこのラインが保持できれば言うこと無し、なんだけど。

 長かった夏休みもやっと終わりが見えて来ました。
「あぁ、やっと」
「あ~、もう」という声が交差する中、ベルを1日ベジェスたちに見てもらって“ポート・アドベンチャー”という巨大遊園地に遊びに行く事にします。パリとバルセロナでヨーロッパディズニー・ランドの誘致をした際、結局中間地のパリに持っていかれ、それならばという事で暑い国ならではの、水系の乗り物が多い遊園地をタラゴナに作って、ウリは“ドラゴン・カーン”というジェット・コースター。未だベルを預けてのお出かけというのはした事がありません。ベジェスの所ですから心配などあろう筈がないのですが、何だか不憫。朝のうちに立ち寄って、夜には引取るというだけなのですが…。
 最初は車に乗ってどうやらベジェスの所へ行くらしいと、ちょっとご機嫌だったベル、玄関で他のダルたちと顔合わせを済ませても私たちが中に入らないので不思議そうな顔をしています。そして私たちが行ってしまうと分ると後追いして来て。何だか、フウとちょっと溜息。でも、遊びに行きたい彼は立ち直りも早い。結局、思いっきり楽しもうという事で遊びまくって、夜にお迎えに立ち寄ります。ベルは狂喜のあまり鞭のように尻尾を振りつつ、ちょっと拗ねて見せたりして、やっぱりなかなかにコケティッシュ。せっかくだから食事をして行けと誘われて、ベルも久し振りのベジェス家のご飯を頂きます。もちろん私たちも。
vicense.jpg「あら、目玉焼き?」
「そうよ、1週間に1個ね。それとヨーグルトも1週間に1個。おなかを綺麗にするから良いのよ、もちろんプレーンヨーグルトじゃないとダメよ」と、サルゥがダルたちのお皿に其々目玉焼きを1個ずつ乗せています。フムフム、これもチェック事項。
 夏休みが終わるまで、と言われて預かっていたチビダルも徐々に引き取られ、彼らのところには結局今回はオスメス二匹のチビダルを残す事にしたそうです。
「オスだけと思ったんだけど、このチビメスのスポットがベルに似てて中々いいんでね、結局残す事にしたんだ」
「まぁ、5匹も6匹も変わらないしね」
 チビダルのオスはブラッド、ベルとも掛け合わせられる様にと考えて残された仔です。メスはイダ。少し小振りですが、スポットの感じは成る程ベルに似てるかな。今回生まれた11匹のうち残り9匹は、若い夫婦がメス、サルゥの姉のマリアがメス、ベルの自転車伴走姿に惹かれてサン・クガットにオス2匹、マドリッドにオス2匹、そして事故で亡くしたダルの代りにとメス1匹、そしてやはり以前にリブラ・カサノバを持っていた家族の元にメス1匹、と引き取り手も決まりました。ちょうどこの日、マドリッドからオスを引き取りに来たそうですが、
「ナンバーがカナリアス(アフリカにあるスペイン所有の諸島)のなんだよ。あそこは税金が安いから、凄い車に乗ってるけど、車のブローカーなんじゃないか」と、仔犬の行く末を案じてかベジェス達がゴチョゴチョ。

この仔たちのどれだけがエキスポジションに出てチャンピオンを目指し、リブラ・カサノバの名を伝えて行くのか。そしてチャンピオンとなれるだけの子に育つのか、それは誰にも解りません。まさしくベジェスが言う通り、「宝くじに当たるよりも難しい」予想なのです。スタンダードとなれるかどうかもそうですが、事故にも遭わず怪我もせず、遺伝的欠陥も持たず生き抜けるかどうか。例の交通事故で可愛がっていたダルを亡くした家族が、その痛手から立ち直る為に今回の仔犬を一匹引き取る事にしたと聞いて、家族としてのダルを失う痛み、欠如感はとても大きいのだという事がよく解ります。ベルの兄弟の一匹はイビザ島に住むイギリス人夫婦の元に行ったのですが、彼らは常にダル(オスのみ)を2匹飼っていて、1匹が亡くなるとその欠如感を埋めるために次の世代のオスを育てていくのだそうです。何時かはこのベルの兄弟に会いたいなぁ、と思っていたのですが、何と彼らは物価高のイビザを離れ、南フランスに移住してしまいました。よしっ、いつか会いに行こうっと!

 さて、始めてのお預けはどうだったかというと、
「あなたたちが行ってからも長い事、玄関の方ばかり見ていたわよ。でも、シニアやおちびたちと遊んで楽しくやってたけどね」
 しかしさぁ帰ろうとすると、ベルったら玄関まで行きかけて何故か引き返して家の中に入ってしまうのでした。
「あ、怒ってるよ、あれは絶対!」
「ホントだ。おいで、ベル! お家に帰るわよ」と、呼びかけても暫らく家の中からこちらを窺っています。
「あらら、仕返ししてるのね」と、サルゥも大笑い。フウがお迎えに行って何とかご機嫌を取り無事帰宅。しかし次の日からは置いていかれはしないかと、人が席を立つたびにすかさずウロウロとチェックを入れるのでした。お留守番嫌い!

長かった夏休みも終わり、9月15日からやっと新学期が始まりました。学校が始まれば始まったで、お弁当作りに追われ朝からばたばたの生活になるのですが、でも夕方のベルの散歩は未だ陽も明るいし、フウが自転車でカン・ボレールまで引っ張っていけるようになり少し楽になりました。家からカン・ボレールは自転車コースだと往復5キロ、朝は朝で一時間半は歩いていますから充分な運動量です。
 ところがたまたまフウがベルを自転車で走らせているのを見た獣医のペパが、
「自転車で引っ張るのは足の骨の変形を招きやすいから、止めなさい。人間は快適だけど、犬は自分のリズムで走れないから、負担が大きいのよ」と、電話を掛けて来ました。でも、自転車で走らせてかなりの期間が過ぎていますが、私たちにはベルがパワー負けしているとはとても思えないのでした。
「僕がフルスピードで走っても付いて来るし、平気そうだよ」と、フウ。
「映画でだってやってたじゃない。自転車とダルって、ぴったりの感じよね。そもそも馬の伴走をしてた犬なんだから」と、内輪で反駁していても不安なので、ベジェスに問い合わせます。ダル110番。
「あぁ、問題ないよ。そんなの一般論だよ。ダルは長距離走り続けられるんだ。そりゃあ、小型犬や体の出来てない犬が、いきなり自転車で走らされたら負担が大きいけど、ベルみたいにパワーがあれば問題ないよ。エネルギーを消耗させた方がうんといいからね」と、お墨付きを頂き安心と共に納得。早い時期に無理をすると骨の変形など支障をきたす事があるかもしれませんが、既に人並み以上の体格とパワーの持ち主、ベルに対しては要らぬ心配だったようです。

 さて、9月は2回小さな大会がありますが、今回はイグアラダだけに参加する事にします。ちょうどオチビを引き取っていった若いカップルが見に来ると言うのです。
「彼らの姉夫婦がゴールデンレトリバーのブリーダーでね、それを見がてら来るらしいんだ」
「感じのいい子達よ」
 相変わらずイグアラダの大会は暑いのですが、今回はちゃんと折り畳みのテーブルと椅子セット、パラソル持参、私は大きな麦わら帽を被り、おまけにサングラス。それでも地面からの照り返しでむっとする暑さ。相変わらず何も持たず帽子もサングラスもしないベジェス達って逞し過ぎる…。出番を待つ内に噂の若いカップルが到着。コンピュータ技師のデビッドと看護婦のビビです。とても明るく感じの良い人たちで、すぐに打ち解けてこれなら安心。
「これがベルね」と、ビビに頭を撫でてもらったベル。嬉しくて嬉しくて、すぐにビビの前に座り込んでお代りパンチ。その人懐こさとベルのビロードのような手触りに魅了されたビビ、ダルの虜になったようです。ビビの前にちょこんと推す割して頭を差し出し、黒い両耳がおかっぱ頭のように垂れた姿の可愛らしさ。そして撫でる手を止めると、すかさず繰り出される「お代りパンチ」の絶妙なタイミングといったら、まさしくベルの本領発揮。みんなを幸せな気持ちにしてくれるのです。

cachorros.jpg久し振りにビセンスにプレゼンテーションしてもらって、ベルは中々堂々として来ました。ここでMR(BOB)を獲得。デビッドとビビも大喜び。後は12月のジロナ大会まではお休み、と思っていたのですが、「11月のベルギーのダル・クラブ大会に行かないか。今年はイダとブラッドを連れて行こうかと思ってね。ちょうど6ヶ月になるし、デビュー戦なんだ」と、例によって魅力的なお誘い。ビセンスはブラッドにこれから全力投入の構えです。
「ジョーが小さかった時よりも、もっとインパクトがある」と、マニュエルも言います。あのジョーより? ジョーは私たちにとって力強くて気立てがよくて、何だか特別な存在なのです。その体格の素晴らしさは王者の風格だと常々感じていたのですが、それをも上回るとは…。
 イグアラダの帰りに立ち寄ってみると、4ヶ月だというのにイダとブラッドはしっかり成長し、確かにこれはと思わせるものがあります。2匹ともスポットの入り方はバランス良く、ブラッドは顔が白くてフランス好みっぽい。ただ残念な事にイダは目の色が明るいのでした。本来白と黒のダルの場合、黒に近い深い焦げ茶であるべき目の色が、かなり明るめの茶色で、これは血統書に関しては青や両目の色が違う訳ではないので問題ないのですが、スタンダードという事からするとチェックされる点になります。チャンピオン犬ばかりを見て教育された私たちも、この頃はだんだんとスタンダードが判る様になってきました。全体のバランス、頭が小さくても大き過ぎてもいけないし、体が短くても長くてもいけない。耳が大きくても小さくてもダメ。尻尾の長さもちゃんと踵まで、それ以上長くても短くてもいけない。歯並び、骨格、性格、エトセトラ。さらに何かその子でないと醸し出せない魅力、内側から発散される何かが決め手になる場合もあるのです。

 遊び盛りのイダとブラッドは、2匹でベルに跳びついてマルカしようとしています。ベルお姉さんは中々に手強いぞ。2匹相手にガウッと教育的指導を行いつつ、くんずほぐれず遊んでいるのを見てると、本当に飽きないのでした。
「今回はビビとデビッドも行くんだ、それとマリアも。だから4匹の仔犬とベル、それとディジーも。ディジーは出場しないけど、“ブリーダー・クラス”というのがあって、そこに出すんだ。ママと子ども達って訳さ」と、ビセンスは嬉しそう。チャンピオンとその子供達、と言うので出せるのってブリーダーの夢なのかも。
「それにベルの婚約者も見られるぞ。審査員はスミス女史。ブリティッシュ・ダル・クラブの会員だから昔から知ってるしね。彼女はDallyvistaと言う血統書名のブリーダーで、ディジーもその血が入ってるんだよ。うちともそんなに遠くない血統だ」と、お誘いは魅力度アップ。ベルの婚約者!
「セルゥインよ、きっといい犬になってるわよ。去年のヤングクラスで勝ったのよ」と、すかさずサルゥが親心を擽ります。
 昨年は土曜日にフランス・ダル・クラブ大会があり、その日にブリュッセルまで移動、翌日曜日にベルギー&オランダ・ダル・クラブ大会と、かなりハードな日程でしたが、今年はフランスが一週間前にやるので参加せず、ベルギー大会だけに行くというので、私たちはベルギー行きをOK。
「ブルッセルにはいい建築がある」と、夫が言えば、
「ベルギーはチョコレートが美味しいのよね」と、私。
「小便小僧もある」
「帰りはどこかで一泊位して帰ってこないと疲れちゃうわ」
「フランスのナンシーがいいか。アールヌーボーのガラス工芸発祥の地だし」
 早速計画を練ることにします。車は3台。ベジェスの車に一家4人と、ディジー、イダ、ブラッドのダル3匹、デビッドの車にデビッド、ビビ、マリアの3人と、キティ、イネのダル2匹、私たちの車に一家三人とベル。金曜の早朝出発で、その日は一気にブルッセルまで走ると言うのです。マリアが途中で私たちの車に乗り換え運転を交代してくれる事に。何だかわくわくします。ベルの体もその日に合わせて調整しなくてはなりません。
「ベル、今年はおジジとおババも一緒だゾ。また沢山のダルに会えるね」と、昨年の経験者フウは余裕の構え。そうです、100匹を越えるダルに会えるのです!