1匹目  ベル誕生

 1999年1月11日。待ちかねた電話が入りました。ダルメシアン7匹兄妹誕生の知らせです。我が家に来ることになっているダルはメス。既に名前は「ベル」と決まっています。息子フウの12歳の誕生日プレゼントとして、待ちに待たれた誕生でした。しかし我が家にダルを迎える事には、紆余曲折長い道のりがあったのでした。

 まず新しい家族を迎えるという事は、私たち夫婦に大きな選択を迫りました。それは、「ここに踏みとどまり頑張って生きるか、もしくは日本に帰るか」という、これからの人生の基盤をどこに置くのかという大きなものでした。私たち夫婦がバルセロナに暮らして12年、ここで生まれた息子と同じ時間を過ごしてきましたが、中学生になる息子の受け入れを考えると、12歳というのは日本に引き上げる今がひとつの区切りだと思えたのです。夫の仕事、私の仕事、あらゆる事を考え、煮詰まっていました。誰よりも迷っていたのは夫でした。日本に帰るのなら犬は飼えない。それは確かです。既に我が家には猫が2匹いました。2匹の猫を連れて帰るのだけでもやっと、です。champion.jpg

 私たちがこんなにも思い悩む事になったそもそもの始まりは例の映画、1996年に製作された本物のダルを使ったディズニーの 「101匹ダルメシアン」に息子が夢中になってしまった事からです9歳の息子はダルに取り憑かれてしまったのでした。毎年誕生日が近づく度にプレゼントとして「ダル」をねだり続ける息子を、何とか宥めすかしてきたのですが、3年目にしてとうとう私の「絶対だめ」という気持ちが揺らいできたのは、ここが大きな決断の時期であるという、自己防御の思いが働いたからかもしれません。そして昨年の春から今年こそは誕生日プレゼントに絶対ダルを、と意気込んでいたフウの強い思いとが相俟って、最終的な決定は父親に託されました。何と言っても彼がここバルセロナに踏みとどまるのかどうかが、家族の行く手を決定するのですから。

 公認建築家としてスペインで独立をしたものの、ここでどう建築をやっていくのか、やっていけるのか、は常に夫が抱えている難問でした。「この歳まで建築にしがみついていられるとは思ってもみなかった」と彼は言いますが、建築への強い思いがあったからこそここに居るのだし、ここで12年間頑張ってきたという事は、疎かにはできない私たち夫婦の歴史です。しかし、生きて行くには歴史だけでは済みません。私たちのように日本人同士のカップルの場合、外国で生き残る割合が厳しくなるのは当然です。私たちはイミグランテス(移民)なのです。自分がイミグランテスであるという認識をしていない日本人がとても多い事に驚くのですが、彼らは親方日本丸を信頼しているからなのでしょうか。幻想です。確かに日本人の方が中国や韓国の人たちより良いイメージで迎えられているのは本当ですが、これはかつての日本の経済力に裏打ちされたものでしょう。ですがイミグランテスである事には変わりがありません。他国で職を得るという事は、その国の失業率を減らす貢献をしている訳ではありません。ましてプロの職種の中で外国人がスペイン人と同じ土俵で戦うという事は、甘いものではありません。それでも夫は戦ってきたのだし、戦い続ける意思を持ち続けて欲しいと、私は思いました。
 こういうジレンマの中、事情の解っていない息子はひたすら「ダル」が欲しいと言い続け、「ダル」を拒む事はますます私たちを閉塞的な状況に追詰める事になるのではないかと、私は危惧しました。一度引いてしまったら、もう攻める事はできません。それができるのは若いうちだけです。ここまで来たら前進を旨とするしかない。

夏が近づき、ついに夫がひとつの提案を息子に打ち出しました。「ヴァカンスでゴッスの散歩を毎日一人で出来るなら、考えても良い」という、一歩前進の提案です。
 ゴッスは私たちの階下に住むブラビア家の犬で、“ゴッス・アトゥーラ”というカタルーニャのピレネー地方を原産地とするオスの牧羊犬です。ブラビア家に彼が来たのが96年、それは愛くるしくて私たちはすっかり彼が好きになってしまいました。ハイキングやちょっとした遠出の散歩に借り出したり、休暇で山に行く時には連れて行ったりと、必要な時だけ借り出せて後は手の掛からないゴッスとの付き合いは、私たちにとって理想的なものでした。またゴッスにとっても街の中だけの飼い主との散歩では飽き足らず、私たちとの遠出が何よりの楽しみでもあったのです。ブラビア家には既にグランというスペイン版セントバーナードといった感じの、スペイン固有種の巨大牧羊犬マルティン種がいて、彼は巨大種特有の腰骨の変形症に罹っており、外に散歩に出ることなく小さな庭をドッコラショという感じで這いずり回るのがやっとでしたが、まだ若いゴッスは外へ出たくて出たくて仕方ありません。私たちの欲求とゴッスのそれとがうまく噛み合わさっての理想的な犬とのお付き合い、という訳です。gos.jpg

 そもそも「ゴッス」と言うのはカタルーニャの言語カタラン語で、そのもの「犬」と言う言葉です。「グラン」は大きいというカタラン語。名付け親はブラビア家の娘であり、私たちの友人であるアデ。彼女はちょっと風変わりな名付けが好きで、彼女の持っているオス猫は「ガト(=猫)」だし、メス猫は「ネカ(ネコの女性形)」。スペイン語はOで終わるのが男性名詞、Aで終わるのが女性名詞というのが一般的な決まりなので、NEKOのOをAに変えてネカとなった次第。友人のアデとパブロ夫婦も階下に住んでいて、アデの両親と隣同士。よくドアを開けたまま行き来をしていて、廊下に出たゴッスがワンワンうるさく吠えては叱られています。4階建ての集合住宅ですが、ブラビア家は地上階で庭があります。昼間は庭に出されていることの多いゴッス、よく吠えるので同じ建物に住むご近所からはすこぶる評判が悪く、既にグランが老衰で亡くなり一人きりになったゴッスは近所迷惑も考慮してか、近頃は夜は家の中に入れてもらえるようになりました。長毛種で色は灰茶濃淡、山の強い陽射しから瞳を守るべく前髪が眼の辺りまで垂れ下がっていて、ちょっと首を傾げたところなんぞは気のいい兄ちゃん風ですが、なかなかに気性は荒い。概して牧羊犬と言うのは大人しげなイメージとは違って、狼から(ロシアでは熊からとも)羊を守るべく、激しい一面を持っているようです。シェパード(スペインではドイツ牧羊犬と言う)然り、ベルギー牧羊犬も気性が荒いし。ゴッスもグランと同じく腰骨が変形し、片側の腰の付け根を手術しましたが、回復期のまだよく対抗できない時期に他の2匹の犬にアタックされたのが尾を引いて、よく知らない犬を見かけると牙をむき出してやたらと吠え掛かると言う問題点を抱えています。散歩に連れ出してもらっているのでフウには懐いていますが、このゴッスと過ごす10日間のヴァカンスの散歩、これがフウヘ課された試練なのでした。しかも、早朝。ちゃんと起きて一人で連れ出せるのかどうか。11歳の彼にとってはなかなかな関門です。フウは自分の「ダル」への期待を胸に、私たち夫婦は「犬を飼うことになったら、どうなるのだろうか」という疑問を抱えて、ついに夏のヴァカンスが始まりました。

 私たちが例年過ごすのは、“バジェ・デ・カルドス(薊渓谷)”にある、カタルーニャのピレネー山脈の谷あいの村“リベラ・デ・カルドス村”です。この村にはホテルが2つ、その他にオスタル、貸し別荘のアパート、キャンプ場などがあり、馴染みのホテル・カルドスには昨年もゴッスを連れて泊まっていますし、皆なゴッスは私たちの犬だと思っています。このホテルに去年までいたマルティン種のオスは冬に亡くなったとか。昨年はこのマルティンにしっかり下僕扱いされたゴッスも、今は同じゴッス・アトゥーラのメスとシェパードのメスがいるだけで、オスのゴッスとはまったく問題なし。ゴッスは概して家の中でのお行儀は良く、今までも何度かホテルに連れて行きましたが、部屋で吠える事もなく私たちが食事に行っている間は大人しく寝ています。

 朝8時、ヴァカンスの村はまだ眠っています。朝靄で藍色に滲んで見える村の中を、まだ寝ぼけ眼でふにふにとした足取りで出かける息子をホテルの窓から見ていると、何処かに幼さを残す彼とゴッスの組み合わせは、何だか妙にしっくりと馴染んで微笑ましい。ホテルの向かいにある厩舎で飼われている白に茶の大きな斑のあるマルティン犬が胡散臭そうに道を塞ぎ、オス同士の対決ながらこう大きさが違ってはどうしようもなく、ゴッスは最上級の恭順の意を示し、尻尾を股に入れ込めるだけ入れ込み、フウはフウでこれ以上近づかれたらどうしよう、という形で固まっているのが見えます。ずいと肩を一歩前にやるマルティン犬に合わせて、二人がじりじりと後退しながらホテルに引き返してくるのを、その何ともいえない責め競あいを、夫と私は窓からずっと眺めていました。外は一面の朝靄。

 ヴァカンスの最後の日、フウは晴れ晴れとした顔で帰ってきました。どうにかこの10日間のヴァカンス中、ゴッスの朝の散歩をやり遂げたのです。最もフウをたたき起こすのは私の役、「嫌ならいいんだよ、自分の犬は諦めろ」と脅すのは父親の役、ではありましたが。これが第一の関門でした。

 約束を果たした息子の要求は当然ながら激化。では、キキとフェリックスという2匹の猫はどうするのか? そうです、これまた問題なのです。私は生まれてこの方、犬を飼ったことは一度としてありませんが、猫は手放した事はない、自他共に認める「猫好き」でした(既に過去形なのが恐ろしい、と夫は言いますが)。長年暮らしてきたこの猫たちはどうなるの、不憫じゃないのよ、と言う気持ちが当然ながらあった訳ですね。第一猫は決して親切とは言い難い。新しいものは受け入れ難く、他の奴が可愛がられるのは許せない、という心の狭い生き物なのです。この2匹の性格の悪さに少々手を焼いていた夫、次なる関門を設けました。
「キキがいなくなったら犬を飼ってもいいぞ。どうする、キキを捨てるか?」という、底意地の悪い父親の言葉に、まぁ、健気じゃありませんか。
「そんなこと出来ないよ」と応える息子のいじらしさ。でも私、まだ猫の味方でした、この時点では。毎日の散歩を押し付けられるのは(目に見えているもの)断固お断り。共稼ぎでどうしてそんな事ができましょうぞ。でも犬が来る事でフウに与えるパワーを考えると、やはり母親としては考えてしまうのです。「兄弟がいないから犬が欲しい」というのは、一人っ子の切り札かも。(でも猫がいるじゃない?)と、心ではチッ!なんて思いつつも、ね。
 しかし誕生日はどんどん近づいてきます。10月になると日々激しさを増すダル攻勢に、徐々に水際浅く攻め込まれていく私。最後の砦は父親です。しかし、夫は元来根っからの 「犬好き」だった…。
cosmos.jpg クリスマスのプレゼントも、レジェスのも要らない、ダルが欲しい!」のとにかく一点張りに、ついに父親が「仕方がない」と承諾。キキ追放の話は何処かへ消え、キキもフェリックスも皆なまとめて、ダルが来るのを待つ事になりました。そしてこれは、私たちにとっても新しい幕開け、このバルセロナでもうひと頑張り続けてみよう、という決意の現われでもあったのです。夫にとってはぎりぎりの、苦しい選択だったとは思いますが。

 結局、息子の粘り勝ち。あの映画を見てから三年越しの夢のプレゼントです。11月生まれの彼は誕生日、12月のクリスマス、そして1月のレジェス(Los Leyes)をまとめて一つで良いという、子供としては思い切った提案をしました。このレジェスの日と言うのは1月6日に東方からの三賢人がイエス・キリストに生誕のお祝いに伺った日、スペインでは新手の商業主義の権化サンタ・ニコラウス(昨年バチカンから聖人を剥奪されて、ただのニコラウスになったと聞いたけど)からプレゼント頂くのではなく、この東方からの三賢人にプレゼントを頂くのが正統なのです。無論今はどちらからも貰えるけど、クリスマスはどちらかというと細々した物、レジェスがどんとした物、というのが多いようです。最も子供たちはクリスマスに玩具を貰った方が嬉しい。だって、三賢人の日が終わるとすぐ新学期で、せっかくの新しい玩具で遊ぶ暇がないから。だから6日は祝日だけど、7日は遊びの為にと、もう1日冬休みが取ってあるのが、スペインらしい。スペインでは子供は常に「王様」なのです。インターナショナル・スクールに行っているフウは7日から学校が平常通り始まり、彼のクラスメートにはスペイン人とのハーフでもない限りこの習慣はありません。しかし、スペイン生まれの息子はレジェスにおねだりする権利がある、との主張を譲りません。貰えるチャンスをむざむざ見逃す手はないですよね。

 さぁ、強固な砦を破った息子は意気揚々。ダルかぁ。まぁ、夏からそうなるかな、と予測はしていたのですが、こちらだってすんなり受ける訳にはいかなかったし。欲しいものをすんなり手に入れていては、それを守る事も自ずと軽んじられてしまいます。まして、命を扱うのです、これからの人生十数年を共にする家族としての。

 さて、とうとう私たちが屈服をしたのを知った友人のアデが、早速獣医をしている妹のペパの情報で、ダルは止めた方が良かろう、と知らせてきました。アデはかつて夫の同僚で、もう十年来の友人。フウが以前から犬を欲しがっていたのを知っていた彼女、早速妹に問い合わせてくれたという訳。ペパ曰く、 「ダルは大型犬で神経質、ピソで飼うには向かない。もっと小型犬の方が扱い易い、そんなに散歩もしなくていいし」

 アデは親切にも犬の百科事典なるものまで持参してくれて、あれはどうかこれはどうかと小型犬を勧めてくれます。ビーグル、コッカースパニエル、挙句に「ポインターもいいねぇ」と夫も言い出し、今まで通りで見かけても目も行かなかった犬たちに、今では吸い付くように視線が行く次第。しかし、頑としてフウはダル一点張り。「ダルでなければ要らない」とまで言う始末。
「じゃぁ、要らないんじゃない? だって、お散歩大変よ」
「じゃぁ、お母さん、小さいのがいいの? うちの猫みたいに?」と言われると、ムムッと言葉に詰まってしまいます。フェリックスとキキねぇ。同じシャム同士でありながら、キキはともかく、フェリックスは6キロの巨体猫。ちょいとした小型犬なら生半可に近づかぬほうが身の為、といった大きさ。しかも態度はふてぶてしい(が、気は弱い)。それに引き換えいかにもシャムらしく小振りなキキは、夫をして「キチガイ猫」と言わしめるほど、頭のタガがすこ~しオカシイ。何度も何度も2階テラスから飛び降り脱出を図り、その度に舞い戻ってくる強運と、小型犬の鼻に噛み付いて鼻に空気漏れの穴を開けてしまった程の捨て鉢な性格。どちらに転んでも小型犬は無事には済まない、か…。それに猫より小さい犬は確かに欲しくはないし。やっぱり犬なら大きい方が…、何てところを微妙に突かれて、
「そうよね。犬はやっぱり大きい方が犬らしいわよね」
「でしょう?」何て言ってる折もおり、街でお散歩中のダルを見た、とご近所の神谷さん情報。彼女のお家ではダックスフンドの“ジェイ”を飼い始めたばかり。とうとう我が家でも犬を飼う事になったという話をしたところ、ジェイの親元でまた生まれるから貰ったら,と知らせてくれた事があったのですが、フウは一言でお断り。
「ジェイは可愛いけど、ダルがいい!」

 そういう経緯で我が家のダル騒動を知っている神谷さんが、ご近所に仔犬のダルがこの頃散歩に出ている、と知らせてくれたのです。「すっごく可愛いわよ」の言葉に、息子と私は通りをウロウロ。結局このダルには会いませんでしたが、別な日に別なダルを連れている銀髪のご婦人を発見。生まれて始めて見る生きたダル! 可愛い…。もう、どうしてこんなに?と言うくらい。後になって色々なダル友が出来てから、この銀髪のご婦人のダルはガイア(メス)、神谷さんが見かけたのはオナ(メス)だと判りました。初めて見かけたガイアは、今思えば黒が勝っているダルなのですが、お散歩中のその姿は美しい、とその時には思いました。あぁ、実物を見かけると何だか益々ダル熱が高まっていき、まだしぶしぶという感じの主人を尻目に息子と私は街を歩いていてもダルに会わないかとキョロキョロ。そして11月に入ったある日、近くのペット・ショップにダルの仔犬が出ているのを見つけ、早速野次馬親子は駆けつけました。犬を絶対に飼えない状況にある人は、絶対に本物のダルの仔犬を見てはいけません! 絶対に! 一度そのぷっくらと可愛いダルの仔犬を見たら、もう抵抗出来なくなってしまうでしょう。何が何でも一緒に暮らしたいと思ってしまうでしょう。
 ガラスのショーウィンドーの中でヨチヨチと蠢いているダルの赤ちゃんたち。フウはもう今すぐにでも欲しい、という顔で見ています。でも、ペットショップで買うつもりはありません。信頼できるペットショップは少ないし(病気の仔を売る店もあるとか)、スペインに何ら親類縁者を持たない私たちにとって、何かの際にちょっと頼れる人がいないというのは、大変な問題です。今まで私たちは旅行などの度に、アデ夫婦に2匹の猫の世話を頼む事が出来ました。まだ子供のいなかった彼らは気軽に引き受けてくれ、猫の餌と植物の水遣りを引き受けてくれましたが、さて犬となるとそうはいきません。まず散歩というのが(しかも朝夕2回)、1日に1度ど~んと餌と水をやっておけばお終いという猫とは違って、根本的な問題。しかも大型犬にはある程度の散歩の量が必要です。


abuela.jpgまず、信頼できる人から買いたい。犬を飼うのも初めてなのですから、教わらねばいけない事もたくさんあるし、何より何かあった時にすぐに相談に乗ってもらえるような人間関係が欲しいのです。私はフウに、十数年を共に暮らす家族なのだから、本当に良い犬が欲しかったらペットショップから買うのは止めた方がいい、と説明しました。次第に夫も犬を飼うことには賛成の意を表し始め、私は獣医のペパに問合わせる事にしました。彼女は結婚するまでは階下のブラビア家に暮らしていて、まだ獣医科の学生だった頃から知っています(学生の頃アデの猫のお産が怖くて立ち会えず、私が不在だったので夫が代わりに立ち会ったこともありましたっけ)が、蜂蜜とミルクキャラメルを混ぜ合わせたような彼女の声と笑顔にも、だんだんと貫禄が備わってきて今じゃ立派な獣医さんです。庭のないピソでダルを飼う事には反対した彼女ですが、息子の決意の固さを知るとそれ以上は何もいわず、知り合いをあたってみると約束してくれました。

 その夜、早速ペパから吉報がもたらされました。彼女が研修生として働いていたバルセロナの動物病院に、ダルを連れてきていた人がいるのを思い出し問い合わせをしてくれたところ、ちょうど1週間前に掛け合わせをしたばかりだとの事。ただし、まだ妊娠したかどうかは判らない状態だし、生まれても手元に引き取れるのは4ヶ月後になるが、待つ気はあるか。彼らのダルは引く手あまたで、すでに順番待ちの人が何人もいて空きがなかったのですが、ペパが自分の友人という事で粘ってくれたとの由。外国人「しかも日本人!」だという事と、初めて犬を飼うという事がかなりの障害だったそうです。ですがこれもペパが、もう長くここに住んでいて、自分の両親の犬(ゴッスの事)の面倒もよく見てくれて、まるっきり犬を知らない訳ではない、と頑張ってくれたとか。感謝、感謝です。
 電話の傍にフウを呼び事情を話します。4ヶ月待つか、それとも今すぐ欲しいのならペットショップで買うしかない、と説明すると、「待つよ」と、即答。決まりです。その旨をペパが連絡してくれ、翌日早速ダルの親元から連絡がありました。私は不在だったのですが、親元の男性は電話に出た夫に最初は英語で話し掛けてきたそうです。今回のお礼を述べると、電話に出た男性が良かったらこの週末に家に来ないか、と誘ってくれました。親犬はぜひ見ておいた方が良いし、私たちの品定めも必要、という訳ですね。私たちは喜んでこのご招待をお受けしました。これが息子の誕生日3日前の事でした。

 いよいよダルが来る。12歳誕生日の当日、大きなバースディケーキの12本のロウソクを吹き消しながら、最高の笑顔に輝いているフウ。3年越しの最高のプレゼントの切符を手に、嬉しくて堪らないと言うのが全身に溢れている感じです。夫がお誕生日プレゼントとして、ダルの飼い方についての本を贈りました。何だかんだ言っても、優しいね。表紙には「スペインで最も優れた飼い主たちと学ぼう」と書かれていて、中にはスペインのチャンピオン・ダルの写真が沢山出ています。男性2人が美しい3匹のダルと一緒にいる写真があり、溜息と涎が出そうな程に美しい。彼等のダルの写真が至る所に使われていて、持ち主は“マニュエル・イ・ビセンス ベジェス、リブラ・カサノバ”とあります。わぁわぁ騒いでいた割にダルの事を何も知らなかった私たち、この本よって初めてダルの世界を垣間見る事が出来たのでした。

 そもそも“ダル”とは何か? これらの専門書に拠れば、ダルメシアン(スペインではダルマタ)という名前は現在のクロアチアが、かつてダルマシアと呼ばれていた事に由来するそうで、あたかも彼の地が起源のように思われていますが、実際には既にエジプト文明の頃に存在していた、とても古い種だという事です。また一説にはユーゴスラビアのユーリ・ダルマティンなる人物がこの種を確立させたとも言われていますが、はっきりとした起源は謎のままだそうです。

daisy.jpg ダルが記録に残るようになったのは、馬との関係によるところが大きく、馬と共に駈ける姿が17世紀から18世紀のイギリス絵画に多く描かれています。これはダルの一大特徴とも言うべき点で、馬車に付き添って旅をする事が出来る、つまり馬と共に長距離を走り続けることが出来る、という大変な持続力を持っています。先行し旅人の安全を図り、夜は馬泥棒から馬と馬車を守るという、馬車での旅には欠かせない存在だったのです。馬と共にという点から、ダルはイギリスではやがて貴族階級に好まれるようになり、絵画に描かれるようになったわけです。こうして17世紀にイギリスに渡ったダルは、そのスポットという判り易い特徴と相俟って、徐々にポピュラーになっていきました。しかし、この旅をするという事が彼らの起源を判り難くしている点だとも言えます。当時の最大の旅人ジプシーと共に放浪する事によって各地に散らばって行った、とも考えられるからです。

 そして火を恐れる事無く馬を非難させることが出来る、という点も旅にはなくてはならない存在だったようです。ですからやがて消防馬車の前を走り、道を確保して馬車を通り易くするという任務が与えられ、イギリスでは現在も消防隊のマスコットに任命されています。消防士の帽子をかぶったダルのお人形なんかもあって、とても可愛いですよ。

 また、その純白の美しさと、長い間人間と共生してきた事による性格の良さが、他の種との掛け合わせにも用いられるようになったそうです。ドゴー・アレマンは美しい白を出す為に、またピット・ブルは白地と性格を矯正する為に、ダルメシアンとの賭け合わせが行われたとか。

 ところでダルメシアンはと言うと、まず白地に黒のスポットを思い浮かべますが、実は茶色のスポットもあるんですよ。スペインではマロン=茶色、もしくはイガド=腎臓色(イギリスだとレバー)と呼ばれていますが、美しい茶を出すのはとても難しいのだそうです。また、私はまだ見た事はありませんがレモン色という茶の欠陥種も出るそうで、これは最大級の欠点であって血統書は出ないとの事。因みに血統書という点からすると、ヨーロッパの規定はアメリカより厳しく、青い目というのはヨーロッパでは正規の種とは認められていませんが、アメリカではダルのひとつのタイプと認められているそうです。口の悪い仲間はアメリカでは何でもあり、なんて言います。ドッグ・ショーでやたらと犬に触って姿勢を強制したり、尻尾を持ち上げたりするのはヨーロッパでは好まれず、特にイギリスでは外道扱いされかねません。ナチュラルにその美しさを見せる、それが技というもの。その考えが徹底しているのがイギリスだと言えるでしょう。

 このイギリス貴族に好まれたダルが、一般に広く知られるようになったのは何と言っても 「101匹ダルメシアン 」のお陰でしょう。1956年にドディエ・スミスによって書かれたこのお話は、ご存知のように1961年にディズニーによってアニメ映画化され、1996年の本物ダルを使っての映画によって一大ブームを巻き起こしました。この映画に取り憑かれた子供たちが世界中にどのくらい出現したのでしょうか。本物のダルを手に入れた子供たちはどのくらい、いるのでしょうか…。そして、そのうちのどのくらいのダルが、今も幸せに暮らしているのでしょうか…。

 さて、約束の土曜日。私たちは試験を受ける学生のようにどきどきしながら、親元の家を訪ねました。この時点ではまだ彼らの名前すらはっきり知らなかったのです。分り難いから村に着いたら電話をするように、迎えに行くから,と言われた私たちは、目印になりそうな村役場の前で待っていると、後部座席に2匹のダルを乗せた車がやってくるのが見えました。もうこれだけで、我が家全員総立ち、といった感じの大騒ぎ。車の後ろにはダルのステッカーが張ってあり、ダルの頭が見え隠れ。この日の事を私は一生忘れないでしょう。彼らの顔を見た瞬間、夫と私は「あっ! 」と声をあげました。そう、彼らこそが 「スペインで最も優れた飼い主たち 」ベジェス一家だったのです。

 彼らの圧倒的とも言うべき友愛精神と、そのダルたちの見事なまでの美しさ。今まで遠目でしか見かけた事のなかったダルが、私の顔を舐めまくっています。もうこれは一言でしか言い表せません。私たちはダルにはまってしまった、つまりは一目惚れをしたのでした。かつて一度も一目惚れなどした事のない私が! 彼らは想像していたよりも遥かに大きく、気高く美しいのです。これ程までに美しいのは、その血筋の正しさと丹精によるものだということは、素人の私たちにもすぐ理解できました。

「まだ妊娠してるかどうかは確かじゃないけど、ほぼ間違いないよ。食欲も出てきたしカリーニョ(愛情いっぱい)になってきてるからね。後2週間もすればエコグラフィで診断できるだろうけどね。ところでオスがいいのかね、それともメス? 」
「初めてだからメスがいいかと思って 」
「そうだね。メスはオスよりうんと頭がいいし、育てやすいよ 」
 ベジェス一家は黒い巻き毛のビセンスとマニュエルの兄弟(どうも双子らしく、まったく見分けがつかない)と、サルゥ(どちらかの奥さん、らしい)と、息子で1歳半のライムの人間4人と、コスモス(血統署名=CABDAL DE LA LLIBRA CASANOVA、オス12歳、スペインチャンピオン)、ドゥルスバ(GAYFIRD ASTERIA、メス9歳、フランス、スペイン、インターナショナルチャンピオン)、ジョー(THEAKSTON TROUBADOR、オス6歳、スペインチャンピオン)、ディジー(DALLYON MAY BLOSSOM、メス3歳、フランスチャンピオン)のダル4匹と、大きなヒラマヤン猫のキリ(スペインチャンピオン)と白黒斑点巨大ウサギが2匹、鶏数羽、カナリア数羽の大家族。マニュエルとビセンスはともかく、サルゥというのはスペイン語で健康、転じて乾杯の音頭でもあるし、ライムとはカタラン語で葡萄の意味、人の名としては珍しい。最もライムというのは彼らの最初のオスのチャンピオン・ダルの名でもあったそう。納得。

  ベジェス一家は黒い巻き毛のビセンスとマニュエルの兄弟(どうも双子らしく、まったく見分けがつかない)と、サルゥ(どちらかの奥さん、らしい)と、息子で1歳半のライムの人間4人と、コスモス(血統署名=CABDAL DE LA LLIBRA CASANOVA、オス12歳、スペインチャンピオン)、ドゥルスバ(GAYFIRD ASTERIA、メス9歳、フランス、スペイン、インターナショナルチャンピオン)、ジョー(THEAKSTON TROUBADOR、オス6歳、スペインチャンピオン)、ディジー(DALLYON MAY BLOSSOM、メス3歳、フランスチャンピオン)のダル4匹と、大きなヒラマヤン猫のキリ(スペインチャンピオン)と白黒斑点巨大ウサギが2匹、鶏数羽、カナリア数羽の大家族。マニュエルとビセンスはともかく、サルゥというのはスペイン語で健康、転じて乾杯の音頭でもあるし、ライムとはカタラン語で葡萄の意味、人の名としては珍しい。最もライムというのは彼らの最初のオスのチャンピオン・ダルの名でもあったそう。納得。

とにかく、彼らのその開けっぴろげさときたら。まず初対面の相手には何はさておき距離を置き、取りあえずは礼儀正しく、を旨とする我々日本人的意識を、一発必中でぶち壊すに足るものでした。そのマシンガン的会話に、右に左に揺れる我々3人の首。早口と圧倒的な言葉の量、量。音の幕間を縫ってどうにか、私たちがなぜダルを求めるに至ったかを説明しましたが、息子の 「ダル以外は要らない 」という言葉が、いたく気に入ったようです。 「女の子を引っ掛けるにはいいぞ 」と、双子の一人。
「自分もそうだったんだ 」と笑っています。これがマニュエルでした。
「ダルが欲しくてこの家に訪ねてきたとき、彼を見初めたのよ。だから前の夫とは離婚したの 」と、サルゥ。冗談かと思うようなさらりとした口調ですが、どうも本当らしい。皆なにこにこ笑っています。
「で、この子が生まれたんだ、僕には遅い子だけどね 」と、マニュエル。でもラインはビセンスに抱かれていて、どちらもが父親であるかのような育て振りです。何だか不思議な自然さ。

 さて、彼らの家で仔犬が生まれるのは5年振りだとの事。彼らは自分の家の血筋を残したい時にしか掛け合わせをしないのだそうです。そして血統を研究し、自分たちの好む血筋を掛け合わせながら 「リブラ・カサノバ 」という彼らの血統=ブランドを作り上げる事に情熱を注いでいるのです。彼らの血筋はイギリス系のもので、イギリス系というのは何よりもまず骨格が重視され、みんな立派な体格をしています。スポットよりも何よりも、まずは骨格。4匹のうちのコスモスは現在癌に侵されており体力も弱っているので、離れで隠居生活を送っていて、その姿はちらりと垣間見ただけでしたが、残りの3匹はとにかく人懐こく、特にジョーはちょっとパンチを食らったやさぐれボクサー風に、目の周りにスポットが多く、一見凄みがあるのですがさっきから黙々と優しく私の顔を舐めています。一目見た時から私たちはこのジョーの旗本退屈男的風貌に、すっかり参ってしまいました。しかも、何とこのジョーの兄弟が、あのディズニーの映画で主人公“ポンゴ”役を演ったとは! あの“ポンゴ”、今もイギリスの農場で元気に暮らしているそうです。そしてその農場で生まれたのがディジー。何処となく悩ましげな乙女といった風情の彼女が、ママになるのです。そしてエレガントで気品ある顔立ちのドゥルスバ、その瞳の大きさ、そしてその瞳にあふれる茶目っ気のある豊かな表情。彼女はいくつものコマーシャルやファション雑誌に出演した事があるスターです。この3匹共がイギリス生まれ。

 今回の掛け合わせはコスモスとドゥルスバの息子タチョ(EDEN-ECOLOGIC DE LA LLIBRA CASANOVA)と、イギリスからきた花嫁ディジーとの掛け合わせ。年老いたコスモスの後にドゥルスバの新しいお婿としてやはりイギリスから来たのがジョーなのですが、ジョーとの掛け合わせは何故かうまくいかず、ドゥルスバは子宮に異常が見つかり摘出手術が施されてしまい、リブラ・カサノバの血を絶やさぬ為にジョーの新しいお嫁さんディジーが、またまたイギリスからやって来たという訳。ですが今回もジョーとの掛け合わせはうまくいかず、他家に暮らすリブラ・カサノバのオスタチョとの掛け合わせが行われた、という経緯なのです。どうです、チンプンカンプンでしょ? これらがすんなり収まるまでには、私もかなりの時間を要しました。何事にも年季は必要なのです。彼らは今回のタチョとディジーの家系図を用意してくれていて、なんと当人から5代昔までの名前が全て書かれています。チャンピオンには名前の頭にCHを付ける事が許されていて、タチョには付いていませんが、ディジーにはCHが付いています。ディジーの両親にはどちらもCHが付いていませんが、タチョの両親コスモスとドゥルスバにはCHがそれぞれ付いていて、両方の家系を合わせるとちょうど50匹のCHがいます。凄い家系ですよね。ほとんどがイギリス系です。

jo.jpg さて、5年振りにリブラ・カサノバの仔犬が生まれるとあって(この名はベジェス一家が住んでいる土地の、今は没落した旧家の名だそうで、かつてはその所領地一帯がそう呼ばれていたらしい)、何年も前から待っている人もいるそうです。以前リブラ・カサノバのダルを持っていたが亡くなってしまったので、やはりどうしても、と言う人もいれば、フランスからの問い合わせもあるとか。何と言ってもスペイン、フランス歴代チャンピオンを輩出しているのだし、私たちは全くもって運が良かったとしか言いようがありません。我が息子の運の強さに拍手! 

 猫好きを自認していた私も、彼らのダルを見た途端、本当に虜になってしまいました。その柔らかいビロードのような手触り、知的そうな瞳。傍に寄り添う存在感の確かさ。この存在感の確かさと言うのは猫にはないものです。もう私たち家族の頭の中にはダルとの生活を夢見て、背景にはピンクの薔薇が咲きこぼれんばかり…。あぁ、溜息が出てしまいます、こんな素敵なダルとの生活なんて!

 それにしてもベジェス家のダルたちは皆な、実にのびのびと暮らしています。彼らの家はバルセロナ近郊の開発地、松の森を開拓した所で斜面を利用した形で、分譲2区画地を買ったという千平米の敷地にはレベル差のある農家屋風な建物が建てられています。1階から家の中に入ると居間兼食堂、寝室がひとつとバスルーム、そして台所があって、階段を降りると寝室が2つとシャワールーム、そして駐車場兼倉庫に繋がっています。家自体は広いという訳ではありませんが、庭は大きくて段差が幾つもあり、一番下の部分には区切られた庭と小屋があり、そこがコスモスの隠居所となっています。螺旋のようにレベル差を利用するやり方は、スペインでは極ポピュラーなやり方で、特に別荘地などでは斜面を活かした魅力ある空間を創り出しています。私たちは庭を案内してもらいましたが、出来るだけ手を加えずあるがままにしておきたいと言う彼らの意向で、元からあった松ノ木が梢高く何本も聳えています。庭の一番上の部分(そのまま上の道にも接している)には鶏小屋があって、巨大斑点白黒兎と赤茶のチャボのような鶏が共存生活を送っています。そして中レベルの所にはパーゴラと庭仕事用の小屋があり、この小屋の脇には屋根付の犬専用出入り口が設けられていて、留守中でも庭に出ているダルたちが雨などから避難できるように考えられているのですが、この犬用出入り口がいたく気に入ったフウ、さっきから出たり入ったりを繰り返しています。

 幼いライムは何故か初めて会った時から私に妙に懐いて、言葉が遅くて「コチェ(車)」しか言えないのに、一生懸命私の名前を覚えてくれるのでした。私たちは和気藹々と初顔合わせを済ませ、これがベジェス一家との現在に至る怒涛の付き合いの始まり、となったのでした。

 ビセンスがこれを読んでおくといいよ、と本を差し出しました。私もバッグから同じ本を取り出しました。
「何だ、もう買っちゃったの? わざわざ買わなくても良かったのに 」
「いや、まったく知らなくて偶然ですよ。息子への誕生日プレゼントに探したものなんですよ 」と、夫が説明します。そうです、あの本。 「スペインで最も優れた飼い主たちと学ぼう 」シリーズです。アメリカ人ならさしずめ 「グレート! 」と叫ぶところ。彼らはその偶然性をとても無邪気に喜び、また私たちがダルについて学ぼうとしている事に対し敬意を表してくれました。私がサインを頼むと、ビセンスが 「かように素晴らしい犬種を持つ我らが友人スズキ一家へ。心からの愛を込めて 」と献辞を書き込んでくれ、皆ながサインしてくれました。私はその本を抱えるようにして持って帰りました。何ていう事かしら。全く思っても見なかった事なのに、私たちはスペインで最も優れた血統のダルを手に入れようとしているなんて。我々3人、何だか夢を見ているような気持ちで帰途に付いたのでした。

 2週間後、エコグラフィの結果が知りたくて電話をすると、いつも元気なサルゥの声がさらに弾むように、 「おめでたよ! 何匹かまでは判らないけど、妊娠は確かよ 」と、大騒ぎ。出産予定日は60日後の1月10日との事。学校から帰ってきたフウに早速報告。私たちにとっても最大のクリスマスプレゼントです。後はディジーが無事に妊娠期間を過ごしてくれる事を祈るばかり。
 さぁ、仔犬が生まれるとなったら、まず何はさておき名前を考えなくては。呼びやすくて可愛い名前はないかしら? 今までもシャム猫のキキが出産する度に仔猫の名前を考えてはきましたが、それらはみんな貰われていくまでの仮の名前。今度は訳が違います。お祖父ちゃんのコスモスのように12年は一緒に過ごす家族なのですから、名前はとても大事。ここはしっかりと考えなくては。当然ながら決定権はフウにあります。

ですが、ここで以外にも名前に固執する人物登場。我が家の唯一の犬経験者、夫です。彼は自分が小さい頃家に飼われていたというメス犬の名前の継承を唱え始めたのです。聞き分けの良いしっかり者で、如何にお利口だったか。その名は 「ベル 」。Bell はスズキにも通じ、親元のBellesにも、フランス語のBell Epokにも通じる、素晴らしい!まぁ、呼びやすいし悪くはないかもね。とは思うのですが、息子はあくまでも決定権は自分にあるのだから、考えられるぎりぎりまで悩みたい、と突っぱねます。当然でしょうね。ありとあらゆる名前がスパイラルしつつ悩んだ末、ついにフウの決定権が発動されました。
「いいよ、お父さん、ベルで 」

 この日から私たちは毎日 「ベル 」という名を何度口にして、この長い妊娠期間を待ち侘びた事でしょう。クリスマスプレゼントとして私たちは赤い首輪と皮のリールを用意しました。ベジェスからリールは皮製の、それも1,5メートルの長さが最適とアドバイスされたからでした。本当にクリスマスは生まれてくる子を待つに相応しい季節です。

 こうして慌しい年末年始も過ぎ、三賢人の日も終わりました。学校も始まり、待ち兼ねた1月10日がやってきました。その夜、私はベジェスに様子伺いの電話をかけました。それまでにも何度かディジーの母体の様子を聞く為に電話はしていましたが、今日は出産予定日、特別な日です。私の傍にはフウが不安と期待がない交ぜになった顔をして、聞き耳をたてています。
「ついさっき、始まったばかりなのよ。今夜中はかかるわね、大丈夫よ、心配要らないわ。私たち何度も立ち会ったことがあるもの 」と、サルゥの明るい声を灯火として、その夜は家族全員がそわそわと、ひたすら無事を祈ります。

 明けて翌11日、サルゥが知らせてきてくれました。ベルとその兄妹6匹の誕生です。1匹は死産だったけど、母親のディジーも7匹の仔犬たちも皆な元気だとの事。何よりです。出産はいかなる場合も光の出現です。私たちはその小さくとも力強い光を掌に戴くような気持ちで、ベルとその兄妹の生誕に感謝しました。光あれ! こうして1999年1月11日、私たちの新しい家族、ベルが生まれたのでした。